奈良ホテル|辰野金吾が残した大和モダン建築の最高峰

奈良ホテル (wikiより)

奈良公園の外れ、名勝大乗院庭園と荒池に挟まれる小高い飛鳥山の頂きには、公園と奈良町を見守るように重厚な木造2階建ての建造物が位置している。
110年の歴史を誇る名門ホテル「奈良ホテル」の佇まいは、奈良を代表する格調高い近代和風建築として、観光客はもちろん県民からも憧れられる存在だ。
日本近代建築の父「辰野金吾」による、大和モダン建築のハイエンドを、本記事では解説する。

基礎データ

所在地奈良市高畑町
設計者辰野金吾たつのきんご片岡安かたおかやす
構造木造2階建
竣工年明治42年(1909)
利用状況店舗有|宿泊有|物販有|貸切有
見学条件要施設利用
奈良ホテル 基本データ

施設利用案内

基本的には宿泊施設であるが、レストランやバーラウンジでの飲食、ウェディングなど幅広いサービスに対応している。

宿泊

奈良ホテル | 公式サイト Nara Hotel Official Site

奈良ホテルは、明治42年に「関西の迎賓館」として奈良公園内に誕生しました。100年の歳月に思いを馳せながら、百年のホテル「奈良ホテル」ならではの優雅なひとときをご堪能ください。

飲食

メインダイニングルーム「三笠」 | 奈良ホテル | 公式サイト Nara Hotel Official Site

奈良ホテルは、明治42年に「関西の迎賓館」として奈良公園内に誕生しました。100年の歳月に思いを馳せながら、百年のホテル「奈良ホテル」ならではの優雅なひとときをご堪能ください。

その他

古都・奈良で記憶に残る結婚式|奈良ホテルウェディング

明治42年、奈良の地に誕生した“本物の迎賓館”でホテルウェディング。すべての瞬間におもてなしと感動を添えて、永遠の物語になる結婚式を。穏やかで壮大な時の流れがつくりだす本物のぬくもりと、言葉にできない“体感”をお届けいたします。心かさねるひと時を、100年見つめつづける迎賓館で。

建築解説

成立背景

奈良ホテルの公式サイトでは、奈良ホテルの歴史を以下の5つの時代に分類している。

  1. 創設期~大日本ホテル株式会社時代(明治39年~大正2年)
  2. 鉄道院・鉄道省直営時代(大正2年~昭和20年)
  3. 接収・財団法人日本交通公社時代(昭和20年~昭和31年)
  4. 株式会社都ホテル時代(昭和31年~昭和58年)
  5. 株式会社奈良ホテルの設立~平成の今日まで(昭和58年~)

成立背景

明治39(1906)年日露戦争終戦。それまで旅館しか宿泊施設のなかった奈良に、国外要人を受け入れられるホテル施設を開設すべく、奈良市・関西鉄道・都ホテル(社主西村仁兵衛)の間で覚書が交わされる。(奈良市が土地を提供、関西鉄道が建設、西村が経営)
明治39(1906)年西村仁兵衛にしむらじんべえが独断で旧大乗院敷地の高畑飛鳥山(現在の奈良ホテル敷地)を買収。さらに鉄道院がそれを買取り、建設が開始された。
明治42(1909)年竣工・開業。当初は都ホテル改大日本ホテルが経営。
大正2年(1913)年大日本ホテルの経営難に伴い、鉄道院の直営に。
昭和20(1945)年終戦後は米軍により接収(運営は米軍指揮のもと日本交通公社が担う)
昭和31(1956)年再び都ホテルの経営に。
昭和59(1984)年株式会社奈良ホテルとして運営。
奈良ホテル 年表

建築解説

奈良ホテル (wikiより)
奈良ホテル (wikiより)

平面構成

  • 東西130mに伸びる、リニアなプランニング。北側の部屋からは奈良公園と奥にそびえる春日連山が、南側の部屋からは名勝旧大乗院庭と奈良町が一望できる。
  • 本館は、①玄関・大広間・大階段を持つ中央の棟、②西に食堂を持つ建物が1つ、③東に宿泊棟が2つ、計4つの棟が東西に伸びるように連なり、地形に合わせて雁行している。 
  • ①中央の棟は、やや西よりの正面に車寄せを突き出したエントランスを設け、そこから一階ロビーやフロント、談話室、読書室、喫煙室などの共用諸室が配置。
  • その東端には連絡通路があり、酒場・遊戯室を備えた別棟に接続していた。(現在は大和文華館に移築)
  • ②西棟は二階がなく、代わりに天井高の高い大中小3つの食堂とその配膳室が配置された。また、敷地の高低差を活かした半地下には厨房や関連諸室が配置された。
  • ③東側の棟は一階・二階ともに客室で構成されている。地形に併せて南に2回雁行しており、これによって平面・立面・屋根形状の複雑さが生まれている
  • 何れの棟も、2階はほぼ全て客室で構成されている。
  • 竣工時の客室数は52室。当時は風呂便所は一部客室を除き個別には備えられておらず、共同であった。
  • また、当時は客室を遮る界壁にも扉が設けられており、廊下に出ずとも隣室と行き来できる特殊な間取りを持っていた。 
  • 奈良公園周辺の近代和風建築(奈良県立物産陳列所奈良県戦勝記念図書館)などにも共通する特徴を持ち、長野宇平治ながのうへいじの「旧奈良県庁舎」の設計を引き継ぐ様式と言える。
奈良ホテル車寄せ(wikiより)

立面

  • 外壁は白漆喰の真壁造に腰板貼。 
  • 通し柱と、縦長の上下窓が連続して並ぶ規則的な立面。(ただし各部の梁間寸法は微妙に異なり、単なる等間隔の繰り返しではない)
  • 一階と二階の境目にぐるりと腰屋根がめぐらされる。
  • 柱頂には舟肘木を載せて桁を支え、軒は反りのある深い一軒木舞裏とする。
  • ただし柱や桁、舟肘木ふなひじきの多くは薄い化粧材である。そのため通常の古建築と異なり、出隅部では舟肘木や桁を「め(45°カット)」で納める。

屋根

  • 入母屋・桟瓦葺で、小屋組みはクイーンポストトラス。表からは見えないが、要所に軒を支える桔木はねぎが用いられている。
  • 妻飾りは豕扠首いのこさすで、妻を箕甲みのこう納め[1]箕甲納:屋根の端部を曲面にする処理様式とするために掛瓦を本瓦とする。
  • 屋根の両端には鴟尾しびが載せられる。
  • 大正3年にスチーム暖房が導入される以前は、客室暖炉から袴腰付きの灯籠のような煙突が突き出していた。
  • これらの要素に加え、前述の雁行する平面構成により、屋根形状は非常に複雑な物となっている。 

内装

奈良ホテル 内観 (wikiより)
  • 中央棟の共用部ロビーは吹き抜けとし、談話室・読書室・禁煙室ともに格式高い折上格天井おりあげごうてんじょう
  • 一階部分には、真壁造りで柱を見せ、長押を巡らせ、格天井竿縁天井など、和風の要素も多く交える。
  • 一方2階部分は柱を見せない大壁に、伝統建築には存在しない吹き抜け空間とシャンデリア、真っ赤な絨毯の敷かれた床によって、近代的なホテルとしての文脈を表している。
  • 階段や吹き抜けの手すりは擬宝珠高欄と和風の設え。擬宝珠が赤膚焼あかはだやきなのは、戦時中の金属供出を受けての仕様。
  • 各客室の内装は、上下窓といった建具及び室内調度品は西洋風の設えであり、天井高も日本のプロポーションよりはるかに高い。 
  • 特にマントルピース[2]マントルピース:暖炉において、発生する煙や熱を覆う枠の部分。の装飾は、鳥居や前机、経机、竹の節欄間など和風モチーフが多数取り入れられている。こうした装飾は、暖炉が利用されなくなった現在でも客室にそのまま保存されている。
  • 西棟の大・中食堂は柱形を現し、内法長押うちのりなげしを二段通し、その上部に蟻壁ありかべを巡らせ折上格天井とする、御殿風の内装。
  • 本ホテル本館では木造の建物の内部で火を扱う暖炉を使用することから、壁面に断熱材兼吸音材として難燃性の石炭ガラが詰められていた。そのため、煙突撤去や間取り変更などに苦労を強いられることとなった。
  •  なお、1984年竣工の新館においても本館との設備の調和に配慮し、客室に楢材を組んだマントルピースが設置されている。
  • 桃山風の豪奢・華麗な意匠とドイツ風の重厚な意匠が混在する、折衷建築の最高到達点として名高い設計である。

改築年表

奈良ホテルは文化財であると同時に現役の宿泊施設としても用いられており、幾度もの増改築を繰り返している。その変遷を、簡易的にではあるがここにまとめる。

明治40(1907)年着工
明治42(1909)年竣工
大正3(1914)年翌年に控えた京都での大正天皇即位式典に備え、従来の暖炉による暖房に代えてラジエター式のスチームヒーターによるセントラルヒーティングが1年をかけて全館に導入。このとき客室の煙突も順次撤去された。
大正11年(1922)年全館に水道設備、排水浄化装置を新設し、シャンデリアを現在の物に取り替える。
昭和3(1928)年棟の東に共同の便所浴室が増築され、敷地内にテニスコートも新設される(現存せず)。
昭和30年代改装によって各客室に浴室が備えられた。同時期に大食堂南側に宴会場2室とロビーが増築される。
昭和39(1964)年大食堂北西面のベランダを室内化。
昭和45(1970)年客室部西の共同浴室・便所を客室に改装。また同時に、大食堂南側に宴会場2室とロビーを増築
昭和59(1984)年本館南側の傾斜を活かし、新たに鉄筋コンクリート造4階建ての新館が増築され、和室も設けられた。建設には土地の傾斜が生かされ、旧館の一階と新館の屋上が同一平面上となる。
奈良ホテル 改築年表

予算

 当初の予定では5万円程度であった本建築の工費は、最終的には約35万円にまで膨れ上がった[3]奈良公園史編集委員会『奈良公園史 本編』奈良県、1982、p.153。。同時代同構造の建築の工費が、

  • 旧奈良県庁舎(明治27年):23120円
  • 奈良物産陳列所(明治35年):25814円56銭[4]奈良公園史編集委員会『奈良公園史 本編』奈良県、1982、p.220。
  • 奈良県立戦捷紀念図書館(明治41年):30684円[5]奈良公園史編集委員会『奈良公園史 本編』奈良県、1982、p.221。

といずれも2-3万円出会ったことを考えれば、異次元の巨額といえよう。(レンガ造りの奈良帝国博物館(明治27年)でさえ、その工費は92794円43銭[6]奈良公園史編集委員会『奈良公園史 本編』奈良県、1982、p.153。だった)。

参考文献

References

References
1 箕甲納:屋根の端部を曲面にする処理様式
2 マントルピース:暖炉において、発生する煙や熱を覆う枠の部分。
3, 6 奈良公園史編集委員会『奈良公園史 本編』奈良県、1982、p.153。
4 奈良公園史編集委員会『奈良公園史 本編』奈良県、1982、p.220。
5 奈良公園史編集委員会『奈良公園史 本編』奈良県、1982、p.221。

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