奈良でもっとも有名な近代建築といえば、辰野金吾設計の奈良ホテルか、あるいはこの旧奈良監獄であろう。
それは、単に規模の大きさや見た目の美しさだけの問題ではない。明治の日本が数々の列強諸国に対して「日本は野蛮な国家ではない」と証明する際の鍵となった、全国レベルで極めて重要な建築だからである。
明治はじめ、監獄といえば木造の吹きさらしが一般的であり、かつ受刑者の罪質・年齢を勘案しないまま同室に収監するなど、囚人の人権が尊重されているとは言い難い環境であった。
この事実は当時の列強諸国から「野蛮な国」とみなされた大きな要因の1つとされており、国際水準を満たす近代的な監獄の建設は国家レベルの大きな課題となっていた。
美しく堅牢で最先端の監獄を設けるべく、明治22(1889)年には東京府集治監が煉瓦造に改修され、明治28(1895)年には妻木頼黄による巣鴨監獄が設計された。
そして明治33(1900)年に内務省は第一期監獄改築計画を策定し、後に「明治の五代監獄」とよばれる千葉・金沢・長崎・鹿児島・奈良の監獄署の新築が立案された。
目次
基礎データ
現名称 | 未定 |
旧称 | 奈良少年刑務所・奈良監獄など |
所在地 | 奈良市般若寺町 |
設計者 | 山下啓次郎 |
構造 | 煉瓦造 |
竣工年 | 明治41(1908)年 |
利用状況 | 宿泊施設 |
見学条件 | 要施設利用 |
施設利用案内
2024年頃を目処に、星野リゾートによる複合施設(監獄史料館やホテル)としてのリニューアル開業が予定されている。
成立背景
本施設の出自をたどれば、1613(慶長18)年に開設された奈良奉行所(幕府直轄)にある。当時は北魚屋西町および花芝町に牢屋敷が設けられていた。
これらの施設が明治4(1871)年に西笹鉾町に移転され、奈良監獄署となる。当時の監獄舎は狭隘を極め、より広く新しい施設の建設は焦眉の課題となっていた。
明治34 (1901年) | 内務省第一期監獄改築計画策定。奈良監獄署の改築が認可・着工。 |
明治41 (1908)年 | 竣工。 |
大正11 (1922)年 | 名称が奈良刑務所に改められる。 |
昭和21 (1946)年 | 名称が奈良少年刑務所に改められる。 |
平成25 (2014)年 | 「近代の名建築 奈良少年刑務所を宝に思う会」が発足。本施設の重要文化財指定と保存活用が進められる。 |
平成28 (2017)年 | 2月 建造物17棟・2基及び土地が重要文化財に指定。 3月 耐震性の問題などにより、廃庁。 5月 法務省が運営権売却の優先交渉権者に8社コンソーシアムを選定。 |
平成29 (2018)年 | 運営会社が星野リゾートに変更。 |
令和6 (2024)年 | 竣工予定。 |
建築について
全体像
- 敷地総面積3万2474坪。
- 奈良市北部平城山丘陵東麓の京街道沿いに位置する。地方裁判所へ囚人を護送する便宜や、御陵・遊郭・市街地といった施設・区画と隣接しない敷地として選定された。
- 構内は南北にやや長い矩形で、周囲を高さ約4.5mの煉瓦塀で囲む。敷地の西側を放射状の舎房が特徴的な行刑区域、東側を諸施設が配置される事務区域とする。
- 外壁の東側中央に構える表門を入ると、正面に庁舎が配置される事務区が広がる。庁舎の北側には面会所・理容室・倉庫棟、さらにその奥に医務課・隔離棟・第6寮・体育館、そして奉行所時代の獄舎が並ぶ。
反対の南側には車庫・倉庫・面会所が、その奥に拘置区が配置される。 - 庁舎から西側の行刑区は、放射状の配置が特徴的な「舎房」と、2つの区域を仕切る「倉庫棟」、そして舎房と塀の間に並ぶ炊事場・入浴場・汽缶室・食堂で構成される。
外構
表門
- 明治41年竣工。
- 煉瓦造2階建て。アーチ型の入り口と、両脇に円柱状の門衛所を特徴とする。
- 門衛所の頭注にはモルタル製の玉ねぎ型ドーム屋根を有する。
塀
- 敷地四方をめぐる壁は成立時期がバラバラであり、指定文化財に登録されているのは施設竣工当時の塀である北塀・南塀のみ。
- 壁面にはT字の柱型をつけ、等間隔に並ぶ控え壁で支える。
- 撤去された見張所の窪みが、2箇所残存する。
事務区域
庁舎(旧事務所)
- 明治41年竣工。寄棟造桟瓦葺、煉瓦造2階建て。
- T字型の平面構造をもち、全面の南北に延びる棟に事務関係所室を、東西に延びる棟に教誨堂(現講堂)を配する。
- 正面中央には急勾配の高屋根を設けアクセントとする。
- 両翼からは「廊下および倉庫」に、教誨堂の先端からは舎房中央の「中央看守棟」に、それぞれ接続する。
廊下および倉庫
- 明治41年竣工。寄棟造桟瓦葺で、煉瓦造平屋建て。
- 庁舎両翼から南北に伸び、敷地を事務区画と行刑区画に分ける役割を担う。
- 東側がアーチを連ねたアーケードに、西側が倉庫となる。
- 倉庫の手前には、理容科訓練の一環で受刑者が一般市民の散髪を行なっていた若草理容室が設置された。
倉庫
- 大正12年竣工。切妻造桟瓦葺で、煉瓦造の平屋建て。
- 表門から入り庁舎を正面に見た時、両脇に向かい合うように控える。
- 櫛形アーチや庇を支える白い鉄製ブラケットなどに、明治41年建設の主要塔屋と同じ造形が見られる。
医務課
第六寮(旧病舎)
行刑区域
舎房
- 明治41年竣工。切妻造り桟瓦葺で、煉瓦造2階建て。屋根加工にはクイーンポストトラスが用いられる。
- 第一寮から第五寮の5棟よりなり、「中央看守所」を中心として45度の角度をつけて放射状に配置される「ハビランドシステム[1] … Continue reading」を採用する。
- 第一寮〜三寮は「独居舎」、第四寮は「夜間独居舎」、第五寮は「雑居舎」として使われた。
- 廊下を挟んで房が向かい合う複房式。5つの舎房で計500室ほど。
- 内壁は白ペンキ塗り。廊下部の床材は花崗岩で、居住部の床は板敷き。
- 二階廊下中央は床スラブを抜いて金網で封鎖する。これにより、二階廊下天井に設けられた明り取りからの採光を確保するとともに、2階の見張台からも1階の様子を見通せるように工夫されている。
監視所(旧中央看守所)
- 明治41年竣工。銅板葺き宝形屋根、煉瓦造2階建て。
- 5つの舎房と庁舎をつなぐ、六角形平面の建物。
- 内部は2層吹き抜けで木製の回廊がめぐらされ、中央には一階・二階ともに見張台が設けられる。
- 屋根は六角形の宝形屋根となっており、その中心がさらに円形の小ドームで折り上げられる木組天井。
煉瓦について
- 本施設の煉瓦は刑務作業の一環として受刑者が製造したものですべて建設されている。特に運動場から実習場へ続く道の床には、受刑者が所属した組の印が施されているのが確認できる。
参考文献
- 奈良県教育委員会 編『奈良県の近代化遺産 : 奈良県近代化遺産総合調査報告書』奈良県教育委員会、2014。
References
↑1 | ハビランドシステム:ジョン・ハビランド(1792-1852)が提唱した、近代監獄の設計手法。監守が立つ監視所を全体の中心に据え、複数の収容棟を放射状に伸ばす平面構成とすることで、少数の看守でも効率的に囚人を監視できる。日本では網走監獄など数多くの監獄で採用された。 |
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