奈良公園と芝生景観

現在の奈良公園 春日野(photoACより)

はじめに

「奈良公園らしい風景」としての芝生

 興福寺の門前町として栄えた奈良町は、明治期以降豊富な名所旧跡を活かした観光都市を目指して発展を遂げた。なかでも奈良公園は、奈良観光の玄関口としてこれまで多くの遊覧者を迎え入れてきた、県内有数の観光地である。

 その奈良公園について『奈良公園史 自然編』では、第3章「植生[1]奈良公園史編集委員会編『奈良公園史 植物編』、奈良県、1982、p.13。」の冒頭において、公園の植生を下記のようにまとめている(太字強調は筆者による)。

はじめに 

奈良公園は最も東に位置する芳山から西へ順に、花山、狭義の春日山、若草山、御蓋山、総持院山、手向山、観音山とつづく山地部と、飛火野を始めとする平坦部、いわゆる奈良公園と分けられる。

 山林部のうち……[中略]

 平坦部は人による強度の踏圧と、鹿の喫食、踏圧による攪乱が見られないところはほとんど無く、またこれらの影響を考えずに植物相及び植生を論ずることはできない。この地域の植生は上記の攪乱に耐えるシバ型の草地か、あるいは植栽したクロマツを主とする疎林に上記のシバ型の草地を組み合わせた植生から成る。クロマツの疎林は所によっては、サクラ類、ナンキンハゼ、スギなどに置き換わっている。

奈良公園史編集委員会編『奈良公園史 植物編』、奈良県、1982、p.13

 奈良公園史が指摘する通り、観光地としての奈良公園はその大部分が芝生(より厳密にはシバ-ノチドメ群落によるシバ型草地[2]前掲『奈良公園史 植物編』pp.18-19。)によって覆われている。青々と広がる開放的な芝生空間は数百年以上の歴史を有する古社寺にも並ぶ、公園の象徴的な存在である。例えば奈良県の広報誌である『県政奈良[3]奈良県広報課『県政奈良 55年3月号 通巻205号』1980、pp.8-13。』は、昭和55年に開設100周年を迎えた奈良公園をこのような書き出しで特集し、その魅力を評価した(太字強調は筆者による)。

“天然の古色”貫いて

 広い芝生・深い緑・青い空――奈良公園は訪れる人達を幽玄の境地に誘い、快適さを満喫させてくれます。春日大社、興福寺、東大寺大仏殿などの千古の歴史を秘めた古社寺は、春日・若草山を背景に優雅なたたづまい(ママ)で緑の構図に溶け込み、木立を縫うのどかな鹿の鳴き声が幻想の世界に立体感を調和させています。

奈良県広報課『県政奈良 55年3月号 通巻205号』1980、pp.8-13

 たしかに奈良公園の芝生は、古都千三百年の歴史を象徴するような美しさと雄大さを誇っている。広々とした芝生景観と、東大寺や興福寺に代表される伝統建築、そして人々と戯れる鹿。これらが奈良公園を代表する風景であることは、もはや誰にも異論は無いだろう。

 しかし改めて考えて見れば、この芝生景観はいつ・だれによって・どのようにして成立した風景なのであろうか?

芝生景観成立の謎

 「奈良公園成立前史」の記事でも触れたとおり、奈良公園の成立は書類上は明治12(1879)年であり、その後明治20(1887)年に、東大寺や若草山を含む広大な公園へと拡大された経緯を持つ、極めて「伝統的」な空間である。

 こうした伝統的な空間を彩るにあたって日本人は、もともと「桜・楓・松・杉」という樹種を非常に愛した民族である。特に神聖な空間や伝統的な町並みを彩るときは、決まってこの4種類の樹を植えてきたと言っても過言ではない。そしてなるほど、奈良公園にはこの4種類の樹々が随所に植えられている。

 一方で奈良公園事態は、非常に「西洋的・近代的」な側面も有している。近鉄奈良駅を起点に春日大社や東大寺へと足を運べば、県庁舎・教会堂・美術館・博物館・植物園・公会堂などの公共施設群が立ち並ぶ。そしてこうした建築群を引き立てるのが、交互に現れる鬱蒼と生い茂る閉じた森林と開放感のある芝生空間といった豊かな植生である。訪れるものの視界にリズムと変化をもたらす配置は、あたかも西洋の歴史都市の公園のような様相を醸し出しているといえるだろう。

奈良公園航空写真(2008年撮影)

 こうしてふと冷静に考えてみると、「伝統的・神秘的」とされる古都奈良の文化遺産と、「西洋的・近代的」な風景である芝生の公園、この2つが両立し、調和し、なんの違和感も無く受け入れられている現状というのは、非常に奇妙な光景と言えるだろう。奈良公園は興福寺を母体として生まれた公園であり、その敷地内には神社仏閣建築が幾つも立ち並ぶ伝統的な空間である。一方で奈良公園には、県庁・美術館・博物館・教会・ホテルといった近代的な施設が立ち並ぶ西洋的な側面も有している。そしてこれらの矛盾し合う要素を、あの広大な芝生景観が一つの器となって受け止めており、「1300年の歴史」「日本の原点」という文脈で語られているのである。

 平安貴族とも江戸大名とも、あるいは海の向こうの西洋文化とも縁遠いこの地において、寺社地に由来を持つ奈良公園が「近代的・西洋的」な芝生景観を保有している点は、実に興味深い。ともすれば遙か悠久の昔から存在していたように錯覚してしまいがちなあの芝生景観は、実際の所、誰が・いつ・どのようにして設計し開発した空間なのだろうか?

References

References
1 奈良公園史編集委員会編『奈良公園史 植物編』、奈良県、1982、p.13。
2 前掲『奈良公園史 植物編』pp.18-19。
3 奈良県広報課『県政奈良 55年3月号 通巻205号』1980、pp.8-13。
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