戦前の小規模木造建築は、煉瓦造の近代建築や有名建築家の大規模建築と異なり保存の声が上がりにくい。例えば現存する最古の交番建築は、大正15年(1926年)に完成した「西仲通地域安全センター」とされており、それ以前の明治の交番は尽く建て替えられてしまっている。
有名建築家が建てたわけでもない小さな木造建築は、総じて「残すほどの建築ではない」という判断で取り壊されてしまうものだ。
奈良女子大学の向かいにそびえる、白の漆喰壁に赤い屋根というハイカラな小建築。現在は観光案内所として利用されている「奈良警察署鍋屋連絡所」も、一時は取り壊しの話がもちあがった建築物の一つだ。
幸い、奈良女子大学生活環境学部住環境学科(いわゆる建築学科)の調査を契機として、この建築は建築当初の意匠を再現した上で、保存・活用がなされた。伝統的な町家が並ぶ区画の中にあるため忘れられがちであるが、昭和3年(1928年)ごろに建てられたこの小さな建築もまた立派な近代奈良の建築遺産である。
古い建物を残すとは、100年200年前に建てられた有名建築を大事にすることだけを意味するのではない。
むしろ、ありふれていて、庶民的で、街並みや時代にもそぐわないという建築を前にした時こそ、本当の意味での建築保存が試されているのかもしれない。
目次
基礎データ
現名称 | 奈良市きたまち鍋屋観光案内所 |
旧称 | 奈良警察署鍋屋連絡所 |
所在地 | 奈良市半田横町 |
設計者 | 不明 |
構造 | 木造平屋建 |
竣工年 | 昭和3年頃(1928) |
利用状況 | 公開 |
見学条件 | 自由(見学料なし) |
施設利用案内
現在は交番としての役割を終え、奈良の「きたまち」に関する観光案内所として利用されている。
利用状況
- 開所時間:午前10時~午後4時
- 休所日:毎週水曜日、12月27日~1月5日
- 電話:0742-23-1928(鍋屋連絡所の保存・活用と”奈良きたまち”のまちづくりを考える会)
- 備考:無線LANのアクセスポイント有り
成立背景
- 明治41(1908)年:「鍋屋巡査派出所」が開設。
- 昭和3(1928)年:鍋屋町から現在の半田横町へ、50mほど移転する。この際、本建築が新築されたと見られる。
- 昭和35(1960)年:「鍋屋派出所」に改称。
- 昭和48(1973)年:「鍋屋連絡所」に改称。
- 平成16(2004)年:閉鎖。取り壊しが決定。
- 平成18(2006)年:奈良女子大学生活環境学部住環境学科にて、施設調査の話が持ち上がる。
- 平成24(2012)年:地元住民と奈良女子大学教員による保存活動運動の末、観光案内所として保存改修がなされる。
建築について
平面構成
- 奈良女子大学の東面の道路を挟んで面する小さな木造洋風建築。
- 南北4間、東西2間と小ぶりで、南西角を隅切し入り口とする。
- 内部は大きく南北に2分されており、南半分を執務室、北半分を老化・宿直室とする。平成の改修にあたって、執務室と畳の間を隔てていた押入を執務室からの踏込みに改造し、かつ土間と執務室を隔てる建具を取り外すことで、すべての空間を一体化させた。
- 南東に、桟瓦葺切妻屋根の付属棟を持ち、便所や物置として利用された。こちらは、平成の改修に伴い大きく改修されている。
立面
- 御影石の基礎に、セメントモルタル仕上げの大壁造り。前述の通り木造建築であるが、外壁にはモルタルによって柱・梁・巾木を模した凹凸が設けられており、これによって石造風に仕上げられている。
- 入り口は内両開きの木製腰付きガラス戸。窓は木製の欄間付き上げ下げ窓。ともにペンキ塗り。ガラスには手延の板ガラスが用いられており、改修の際にも再利用された。
屋根
- 屋根は寄棟で、隅切された玄関部分には切妻の飾り破風とピナクルを設ける。
- 軒の出は極めて小さく、化粧幕板を軒蛇腹風に巡らせ箱樋を納める。(改修に際し、淡い緑色で塗装された。隣接する奈良女子大学の建築に多用される色である。)
- 屋根は当初はスレート菱葺とみられるが、現在では朱色の波型鉄板を使用する。
内装
- 執務室はモルタル床にペンキで塗装した腰板を張り巡らし、それ以外の壁と天井は漆喰仕上げ。天井の廻り縁、腰壁の見切り、繰形をつけた巾木など、シンプルで質素ながらも繊細な仕上げと言える。
- 宿直室は畳敷に漆喰塗りの壁、天井はペンキ塗装の板張りと、和洋交わる独特の雰囲気を持つ。
参考文献
- 奈良県教育委員会 編『奈良県の近代化遺産 : 奈良県近代化遺産総合調査報告書』奈良県教育委員会、2014。
- 奈良市HP「奈良市きたまち鍋屋観光案内所」
- 瀨渡 章子「旧鍋屋交番きたまち案内所」『ならじょ Today 32号』