現在の奈良市街地は、古代平城京に当てはめれば最東端に該当する立地であり、さらにその最東端には「京終」というそのままの地名が存在する。
寺社も観光地もない住宅街であるこの地であるが、かつては奈良中南部と接続する物資集積地として栄えていた。
往時の名残は殆ど消えてしまったが、閑静な住宅街に突如として現れる巨大な煉瓦壁の工場が、その歴史を今に伝えている。
目次
基礎データ
現名称 | 井上本店 |
旧称 | 龍紋氷室奈良工場 |
所在地 | 奈良市京終町 |
設計者 | 不明 |
構造 | 煉瓦造平屋建て |
竣工年 | 大正時代末期(1920年)頃 |
利用状況 | 法人利用 |
見学条件 | 要予約 |
利用案内
醤油の購入は下記サイトから
見学は要事前予約(時間帯応相談)
日曜・祝日定休(4~10月は土・日・祝定休)で9時~17時30分
成立背景
- 明治32(1899)年、奈良鉄道(現在のJR桜井線)が開通し、京終町が奈良県屈指の物資集積地として活性化し始める
- 大正7(1918)年、青物市場や魚市場が相次いで開設。
- 大正8(1919)年、京都を拠点とする京阪神市場を中心に、「龍紋氷室」が創業。(大正末期から昭和初期にかけて、冷蔵技術の飛躍的な進歩は食品流通の近代化を大きく進め、製氷業が全盛期を迎えていた)。
- 「龍紋氷室」は昭和元年の時点で全国に15の工場を持ち、その奈良工場が本建築である。
- その後、戦時下の物資不足により製氷業は衰退。昭和16年頃、醤油製造の「井上本店」が奈良工場を買取る。
- 現存する煉瓦造の工場は一棟のみであるが、当時は京終駅まで含むより広大な敷地で、複数の工場があったという。
建築について
解説
平面構成
- 東西棟切妻平屋建て。梁間約16m、桁行約28m。
- 桁行方向少し南寄りに、室内を南北に二分する煉瓦壁がある。この内壁はトラス下弦材高さは6.5mにまで達しており、小屋荷重を受けている。
- 後に外部に増築された棟として、工場の南側に木造の作業棟、北側の道路に面し木造の店舗、そして事務所併用住宅が敷地に並ぶ。
立面
- レンガは一つあたり230×110×60ミリでイギリス積み。出入り口敷石のレンガに刻印された社章から、「大阪窯業(堺市 明治29年堺分工場)」の製造。
- 西妻面には、アーチ型の出入り口と、御影石の楣[1]門や窓・出入り口などの上部にある、柱間に渡した横架材を乗せた出入り口が計二箇所開けられている。
屋根
- 小屋組みは木軸キングポストトラス。
- 軒にはコーニス[3] … Continue readingが廻らされる他、東西妻壁にペディメントが設けられるなど、西洋風の外観。
- 屋根は創建時は瓦葺きだったが、のちに石綿スレート葺きとなり、現在はプラスチック性の波板葺きとなる。
内装
- 煉瓦の内壁で仕切られた空間の内、北側空間の天井はトラス下に土塗り漆喰仕上げ。外壁内側も木軸二重壁に籾殻を詰めた漆喰仕上げで断熱が図られている。
- 開口部の小ささと少なさも考えるに、建設当初の利用法は工場施設というより貯氷庫であったと考えられる。
- 醤油の醸造所として改築する際、内部に二階が造作された。
参考文献
- 奈良県教育委員会 編『奈良県の近代化遺産 : 奈良県近代化遺産総合調査報告書』奈良県教育委員会、2014。
- 高宇「戦間期における食料品生産流通環境の変化と企業対応」、『立教経済学研究 第58巻4号』、2005、pp.169-191。
References