「奉安殿」とは、明治末期から第二次大戦にかけてという極めて限られた期間にのみ設計された学校建築である。当時の学校では、祝賀式典などの折には本建築の前にて御真影[1]御真影:天皇と皇后の写真への最敬礼と教育勅語[2]教育勅語:近代日本の教育の基本方針として発布・神格化された、明治天皇の勅語の奉読が定められており、奉安殿はそれらを震災や空襲から守るために建設されたものである。
大戦まではほぼすべての小学校に設置された奉安殿であったが、戦後忌むべき戦争の記憶としてその多くが解体・移築されたために残存しない。奈良女子大学奉安殿は、建物自体が当初の立地・形態を残しており、当時の風習を今に伝える戦争遺産として貴重な建築である。
目次
基礎データ
現名称 | 奈良女子大学奉安殿 |
旧称 | – |
所在地 | 奈良市北魚屋町 |
設計者 | 文部省営繕課 |
施工者 | 有山組(大阪) |
構造 | RC造平屋建 |
竣工年 | 昭和9年(1934) |
利用状況 | – |
見学条件 | 要予約(外観のみ) |
施設利用案内
- 施設の内部見学は不可。ただし学校敷地への入場は、守衛を通して通年で可能である。
- その他、春と秋には奈良女子大学記念館(重要文化財)の内部見学会も開催されている。(詳細は、奈良女子大学HP 『使用・見学の申し込みについて』にて)
成立背景
- 昭和初頭 全国の学校にて、奉安殿の建築が普及する。
- 昭和9(1934)年 奈良女子高等師範学校の創設25周年記念式典にて、同窓会(佐保会)より本建築が寄贈される。
- 1945年 GHQの神道指令により、全国的に奉安殿は廃止が決定。当建築も解体が検討されるが、理学部生物科の稲葉文枝教授の提案により遺伝子研究用のショウジョウバエ実験室として利用が継続される。
建築について
解説
- 奈良女子大学敷地の東辺に設けられた、正門のすぐとなりに位置する。
- 通常、奉安殿は神社建築を模倣した意匠となることが多い中、洋風の外観を持つ点に特徴がある。
- 建物本体の平面は21.m四方。
- 基礎と軸組は鉄筋コンクリート造。本体外壁は白いタイル張りで、腰部分にかまぼこ状の装飾が施される
- 基礎部分(犬走り)は高さ70cmほど。外側は幅25cmの石積みで、内側は幅40cmほどのタイル張りで仕上げられる。
- 外壁と犬走りには黒い塗装が付着している。太平洋戦争中有に空襲から建物を隠匿するためのものという指摘もあるが、詳細は不明。
- 正面には鉄製建具両開きの耐火扉。北面と南面の内法高さには開口部が設けられ、外側には銅板製の格子が、内側には木製の窓枠がはめ込まれる。
- 屋根は切妻造の銅板葺。小屋組み部分のみ木造である。
- 内部は、縦板張りの壁に格天井を持ち、床は外の犬走りと同じタイル張りの床である。開口部より奥の部分は55cm程高い壇となっており、こちらも同じタイルで仕上げられている。一時は生物学用の実験室となった本建築であるが、建設当時の形態をほぼそのまま保存していると考えられる。
参考文献
- 国立文化財機構奈良文化財研究所 編『奈良県の近代和風建築 : 奈良県近代和風建築総合調査報告書』奈良県教育委員会、2011。
- 川島智生『近代奈良の建築家:岩崎平太郎の仕事:武田五一・亀岡末吉とともに』淡交社、2011。
- 奈良女子大学百年史編纂委員会 編『奈良女子大学百年史』奈良女子大学、2010。