奈良市高畑町は旧奈良市街地の東の果てに位置する高燥地であり、春日山の豊かな自然や奈良公園の名勝旧跡との緩衝地帯としての役割も果たす静かな住宅地である。新薬師寺の他目立った観光名勝もない穏やかな区画であるこの地だが、建築的にみれば「粉川家住宅」「旧野口家住宅」「棲霞園」など、戦前の良質な邸宅建築が多数密集するハイカラな土地でもある。
そんな奈良の邸宅建築群のなかでもとりわけ有名なのが、白樺派の文豪志賀直哉自身が設計した、木造一戸建ての邸宅である。池庭・中庭・芝庭に囲まれた緑豊かな敷地の中に佇む数寄屋風の本建築は、書斎・食堂などを備えたモダン建築としての側面も持ち合わせている。特に、武者小路実篤・小林秀雄・尾崎一雄を始めとする文化人・芸術家が訪ねては、芸術論や文学論に花を咲かせたというサンルームは、むき出しの梁の合間を縫って天窓からの降り注ぐ光が印象的であり、本建築最大の特徴にして魅力であろう。
目次
基礎データ
旧称 | 志賀直哉邸・飛火野荘など |
所在地 | 奈良市高畑大道町 |
設計者 | 志賀直哉(施工:下島松之助) |
構造 | 木造2階建て |
竣工年 | 昭和4年(1929) |
利用状況 | 貸切有 |
見学条件 | 自由(入場料有り) |
施設利用案内
本施設は現在、奈良学園法人の所有物件となっているが、建物や庭の大部分が見学可能となっている。
開館時間
- 午前9:30〜午後5:30
(12月/1月/2月のみ午前9:30〜午後4:30 ) - 休館日:年末年始(12/28〜1/5)
入館料
- 一 般: 350円 (団体:300円)
- 中学生: 200円 (団体:160円)
- 小学生: 100円 (団体:80円)
団体割引は30名以上から。
文化活動等に限り、貸切利用が可。
アクセス
連絡先
ご利用案内・アクセス|奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居|奈良県奈良市
奈良県奈良市にある志賀直哉旧居(国登録有形文化財・奈良県有形文化財)は学校法人奈良学園が保存し、セミナーハウスとして公開しています。
- TEL&FAX:0742-26-6490 (奈良学園セミナーハウス )
建築解説
成立背景
宮城県に生まれ、東京に育った志賀直哉であるが、大正末期には作家としてスランプに陥り、心機一転として関西に移住した。奈良に移住したのは大正14(1925)年、新居である本建築を設計したのが昭和4(1929)年であった。
昭和4(1929)年 | 本建築の設計・竣工。 |
昭和13(1938)年 | 志賀直哉、帰京。建物は個人に引き払らわれる。 |
昭和20(1945)年 | 進駐軍ヘンダーソン将校らの住宅となる。 |
昭和26(1951)年 | 接収解除。しばし空き家状態が続く。 |
昭和28(1953)年 | 厚生省厚生年金宿泊所「飛火野荘」として利用。 |
昭和53(1978)年 | 宿泊所の建て替えと解体が計画されるも、周辺住民による保存運動が起こる。同年、奈良学園法人が買収し、奈良文化女子短期大学セミナーハウス「志賀直哉旧居」として管理公開。 |
平成12(2000)年 | 有形登録文化財に登録 |
平成21(2009)年 | 志賀直哉居住時への復元工事が竣工し、建物全体が一般公開に。 |
全体計画
- 中庭を取り囲むように、北・西・南・南東に4つの棟が立つ、コの字型の配置。北には池庭、南には芝庭を構え、その敷地をぐるりと土塀が囲む。
- 随所に洋風・近代的な趣向を凝らすも、全体としては数寄屋風の内外装を持つ。
北棟
- 庭木が茂る石畳の小径の先には木造2階建て桟瓦葺の北棟が待ち受ける。
- 復元された井桁格子の玄関を入ると、三畳敷きの踏込[2]踏込:玄関などの入り口から入った所にある、履物を脱いでおく所。がある。
- 1階には玄関・納戸・書斎・茶室・書庫・風呂・女中室を、2階には客室と第二の書斎がある。
2階
- 納戸と玄関に挟まれた急激な階段をのぼり、舟底天井の廊下を抜けると、2階には座敷飾りを備えた8畳の客間と書斎として兼用された6畳の次の間が並ぶ。
- 窓からは池庭・奈良公園・若草山が連なる奈良の風景を一望できる。
・脇床に設けられた障子窓は、下半分を直線とする丸窓。
書斎(1階)
- 1階の書斎は板敷きに腰高の建具[3]腰高:一般には人間の腰よりも高いものを指すが、障子や襖を指して言う場合は下部と上部で素材の異なる建具を意味する。、椅子と机を配置した洋風のもの。
- 北向きの部屋で採光は優れないが落ち着いた雰囲気。
- 改修前は、床がカーペット敷に、収納が戸襖になっていた。平成の改修に際し、板張の床と板戸に復元された。
- 天井は煤竹[4]煤竹:古い藁葺き屋根民家の天井で用いられていた竹材のこと。囲炉裏の煙で燻されてついた独特の風合いを特徴とする。の竿縁と葦簀張り。
- 天井は一見根太天井に見えるが、梁に見える松材は半割のフェイクであり、二重天井である。
茶室
- 茶室は、一階書斎の南に位置し、六畳の広間に水屋、さらに一畳の畳床を上座に構える広めの作り。
- 床の間は出節の磨き丸太の床柱に、杉の床框に杉の落掛をもつ、うすべり敷の台目床。
- 脇床は地板を敷いただけの台面で連子窓を設ける。
- 柱には松の皮付き丸太、廻縁には桜や竹、方立てには白竹、様々な木材が用いられる。
- 天井も、貴人畳や客畳の上部には女竹の竿縁を持つ目透かし天井を、点前畳の上部には同じく女竹の竿縁を持つ蒲天井、そして踏込畳の上部は化粧屋根裏仕上げの掛込天井で構成されるなど、趣向が凝らされる。
- 京の数奇屋大工下島松之助の提案による優美な茶室である。
- 茶庭は小ぶりの飛び石と蹲[5]蹲:縁側近くの庭に備えてある手水鉢を配した草庵風露地。
- 躙口は一般の茶室に比べて非常に大きい。
南棟
主屋となるのは南棟であり、芝庭を望むサンルームと食堂・台所で構成される。俗に当建築が「高畑サロン」と称されたのは、このサンルームに直哉を慕った文化人が集まりしばし交流を図ったことに由来する。
台所
- 食堂の西は台所に接続し、大きな開口部ごしに食堂と視線が行き来する。
- 当時としては珍しかった大型冷蔵庫(氷冷式)やガスコンロまで設けられていたことが判明し、平成の復元工事に際して大きな流し台とともに再現された。
食堂
- 食堂は洋間で板敷き。
- 東側にソファーが、西側には食器棚が、それぞれ作り付けられている。
- 漆喰塗りの天井中央には木製の繰形[6]繰形:天井と壁、壁と床など、建材と建材の繋ぎ目を覆う、細長い装飾用の建材。で折り上げられた円形状のくぼみが設けられている。このくぼみに照明を設置することで、明かりを室内に反射・拡散する。
- 「飛火野荘」時代では、写真のとおり蛍光灯と格子窓がはめられていた。
- 平成の改修にあたり納戸から戦前当時の照明が発見されたため、現在はこれに置き換えられている。
サンルーム
- 食堂・台所・夫人の寝室に囲まれたサンルームには、複数の椅子と机が並ぶ。
- 天井は、天井材を張らず力強い架構をあらわにした化粧屋根裏。
- 一方、床は一段下げた土間空間で、四半敷[7]四半敷:石敷き・瓦敷きにおいて、部屋の角度に対して目地(めじ)が45度になるように斜めに配置する敷き方。に瓦が敷き詰められており、空間に動きを与えている。
- 天井が無いこと・土間空間であることから、床座を基本とする他の居室と比較すると非常に天井高が高い。
- また、棟際に開いたガラス張りの天窓から落ちてくる光が上昇感を生み、空間全体に開放感・高揚感を与えている。
- 前面の芝庭からの反射光によっても採光を取ることで、明るいながらも複雑な陰影を持つ深みのある空間が演出されている。
- 隅には井戸を模した御影石の手水鉢が設けられている。
夫人室
- 食堂のすぐ東は、赤松の床柱が印象的な夫人の寝室広縁を介して敷地南の芝庭に面する明るい部屋である。
東棟
- 南棟の更に奥にある東棟は、志賀直哉家の居室が並ぶ。
- 中庭に面して直哉の居間と子供の寝室が、南側の庭に面して、子供の勉強部屋・直哉夫妻の寝室が並ぶ。
庭(芝庭)
参考文献
- 国立文化財機構奈良文化財研究所 編『奈良県の近代和風建築 : 奈良県近代和風建築総合調査報告書』奈良県教育委員会、2011。
- 呉谷充利 編著『志賀直哉旧居の復元』奈良学園、2009。
関連記事
References
↑1 | 棟門:公家や武家の邸宅・寺院の塔頭などで用いられた、屋根つきの門の一種。 |
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↑2 | 踏込:玄関などの入り口から入った所にある、履物を脱いでおく所。 |
↑3 | 腰高:一般には人間の腰よりも高いものを指すが、障子や襖を指して言う場合は下部と上部で素材の異なる建具を意味する。 |
↑4 | 煤竹:古い藁葺き屋根民家の天井で用いられていた竹材のこと。囲炉裏の煙で燻されてついた独特の風合いを特徴とする。 |
↑5 | 蹲:縁側近くの庭に備えてある手水鉢 |
↑6 | 繰形:天井と壁、壁と床など、建材と建材の繋ぎ目を覆う、細長い装飾用の建材。 |
↑7 | 四半敷:石敷き・瓦敷きにおいて、部屋の角度に対して目地(めじ)が45度になるように斜めに配置する敷き方。 |