興福寺の中金堂や五重塔を見学し、そのまま奈良公園登大路園地を抜けるように奈良帝国博物館へと足を運ぶその道中、木漏れ日の中にひっそりと佇む門構えがあることに気がつくだろう。
一般人立入禁止のためにほとんど注目もされないこの建築は、実は「僧坊」とよばれる興福寺住職の住居であり、そのうち幾つかはまぎれもない奈良の近代和風住宅建築である。
目次
基礎データ
現名称 | 興福寺本坊 |
旧称 | – |
所在地 | 奈良市登大路町 |
設計者 | 三代目 木津宗詮 |
構造 | 木造平屋 |
竣工年 | 南客殿|明治41年(1908)・静観寮|昭和6(1931)年 |
利用状況 | – |
見学条件 | 見学不可 |
施設利用案内
一般客の利用・見学等は一切不可。
建築について
平面構成
- 興福寺伽藍の東方に位置する。
- 南面に四脚門[1] … Continue readingを開き、あとは周囲をぐるりと本瓦葺の築地塀[2]築地塀:石垣の基礎に柱と貫で骨組み造り泥土をつき固めて、上部に屋根を掛かけた塀のこと。で取り囲む。興福寺敷地内ではやや閉鎖的な施設といえる。
- 敷地中央に南客殿を配置し、その奥に北客殿・台所等を、南西よりに静観寮を配置する。
南客殿
- 桁行八間、梁間五間。基本は入母屋造の桟瓦葺。
- 基本は矩形の平面だが、南面中央に入母屋破風を持つ三間幅の突出部があり、玄関となる。前面柱間には虹梁を渡し本蟇股で支え、下り藤の家紋[3]下り藤の家紋:藤原家の代表的家紋。興福寺は藤原家の氏寺である。を彫刻する。柱頭部は舟肘木で支え、天井は格天井、袖壁より内側を拭板敷とする。
- 向かって右には二間幅の小玄関もあり、こちらも桟瓦葺の庇を持つ。
- 玄関間は、六畳分の畳張り空間のほかは板張りとなっている。板張りはそのまま建物中央やや右よりを突き抜ける一間幅の廊下となって建物を東西に二分し、さらに建物の北面走る一間幅の広縁と垂直に接続する。
- 廊下の西側には八畳室が隣接し、その更に西側には格天井を備えた二間幅の床の間を持つ八畳間が控える。(2018年5月に開かれた第76期名人戦七番勝負第3局において、佐藤天彦名人(当時)と羽生善治竜王(当時)が対局したのも、この部屋と見られる。)またその南側、建物南西の十畳間は、クロス張りで洋風に改造された応接間が並ぶ。
- 廊下の東側には六畳間が縦に3つ連なって配置され、内最も手前の一室は小玄関の上がり口として機能する。廊下とこの三つの六畳間には長押が打たれていないことから、他の部屋と異なり接客を目的としていないことが伺える。
- 小屋組は梁上に束を建てて母屋を支持する和小屋で、垂木より上は新材。棟木には「明治四十一年十月十二日上棟」の銘が刻まれており、これによって建立年代が判明した。
静観寮
参考文献
- 国立文化財機構奈良文化財研究所 編『奈良県の近代和風建築 : 奈良県近代和風建築総合調査報告書』奈良県教育委員会、2011。
- 松本康隆「3代木津宗詮の職能と茶室の全体的把握のための基礎的研究」『日本建築学会計画系論文集』71 巻 602 号、2006、pp191-198(清観寮に対する直接の言及は無し)。
References