奈良建築街歩きガイド|JR・近鉄奈良駅前編

この記事では、JR奈良駅や近鉄奈良駅周辺の現代建築を紹介したいと思います。

奈良観光の玄関口であるJR奈良駅や近鉄奈良駅は、明治時代から奈良観光の玄関口でした。
そのため、よくも悪くも奈良につきまとってきた「古の都」というイメージを払拭するためでしょうか、この一帯には奈良市の中でも特に挑戦的な建築が数多く建てられてきました。

バブル崩壊前には「世界建築博」さえ企画されたJR奈良駅前を中心に、駅前にそびえるモダニズム・ポストモダニズムの数々を紹介します。

全体像

施設名竣工年用途見学状況
奈良近鉄ビル1970年駅舎常時公開
南都銀行本店1926年銀行要施設利用
南都銀行増築棟1953年銀行要施設利用
奈良市総合観光案内所1934年観光案内・飲食常時公開
ホテル日航奈良1998年宿泊要施設利用
なら百年会館1999年公共要施設利用
奈良市営第一号コミュニティ住宅1989年集合住宅外観のみ可
奈良市街地の有名建築一覧

一般に一泊二日かけて奈良観光をする人は、大阪や京都から近鉄線を経由して奈良に入り奈良公園周辺を散策、その後JR線を利用して法隆寺や薬師寺・唐招提寺を巡るのが一般的です。

そこで今回のコースでは、近鉄奈良駅周辺を出発し、東向商店街や三条通を散策しながらJR奈良駅を目指すルートを想定しつつ、その周囲の建築物を紹介します。

①奈良近鉄ビル

というわけで、最初に紹介するのは出発地点の近鉄奈良駅です。

奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)
奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)

近鉄奈良駅は地下駅なため上層階に駅機能がなく、そのため観光客にとって奈良近鉄ビルは、あまり存在感のない建物となります。
が、実は有名建築家板倉準三[1]板倉準三:1901-1969。ル・コルビジェに師事し、日本にモダニズム建築の思想を広めた建築家の一人。有名作に新宿駅西口ロータリーなど。が手掛けた立派なモダンビルだったりします。

奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)
奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)

正面から見るとこんな外観。
短冊状に並ぶ窓ガラスと外壁が、印象的です。

奈良近鉄ビル 内部(画像出処:撮影岡田)
奈良近鉄ビル 内部(画像出処:撮影岡田)

一階は三方ガラス張りの開放的なピロティ状空間。
中央の階段を下ると改札口に繋がります。

2-8階には学習塾やファミレス、高級中華料理屋などのテナントが入っています。
建設当初は奈良ホテルの別館が6-8階に入っていたとか。

が、ほとんどの人は改札のある地下一階と出口のある一階しか通りません。

奈良近鉄ビル 内部(画像出処:撮影岡田)
奈良近鉄ビル 内部(画像出処:撮影岡田)

理由はいろいろあるかと思うのですが、最大の理由は迷宮のように入り組むエスカレーターと階段。
写真だと伝わりにくいのですが、スキップフロアがあったり、エスカレーターの接続が悪かったり、照明や内装仕上げが全体的に暗かったりと、全体的になんだか入りにくい雰囲気が漂っています。

建築的にはトリッキーな構成で面白いのですが、経営的には不利な空間であるらしく、空きテナントが目立ちます。

奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)
奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)

ビルを西側にでると、奈良の待ち合わせ場所として有名な行基像の噴水が立つ広場があります。
トラス屋根によるガレリアは、2009年のリニューアルの際に作られたもので、地階コンコースの内装一新やビルの西側面のガラス張り化も、この時期の改修によって行われました。

奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)
奈良近鉄ビル(画像出処:撮影岡田)

奈良近鉄ビル

竣工|昭和45(1970)年
設計|板倉準三
見学|常時可

板倉準三が手掛けた、奈良のモダンビルディング。シンプルな立方体のボリュームに、リズミカルな開口部のファサードを持つ。

②南都銀行本店・増築棟

さて、ゴールであるJR奈良駅を目指しましょう。
近鉄奈良駅からJR奈良駅に行く道は何通りかありますが、ここでは最も飲食店や土産物屋を楽しめるルートとして、東向き商店街を経由するルートを選びます。

東向き商店街(図版出処:岡田撮影)
東向き商店街(図版出処:岡田撮影)

商店街の東側には、興福寺の境内が隣接しています。
かつてこの興福寺の方に店を開く店舗が密集して生まれた繁華街であることが、「東向商店街」という名前の由来。

聖公会基督教会堂(図版出処:岡田撮影)
聖公会基督教会堂(図版出処:岡田撮影)

商店街の途中、長い階段とその先にそびえるお寺のような建物が、左手に見えてきます。
この建物も、「奈良基督教会堂・親愛幼稚園舎」という、重要文化財にも登録されるりっぱな近代建築なのですが、これは別記事の「奈良建築街歩きガイド|奈良公園編」で取り上げるとして、今回は先に進みます。

東向商店街を抜けると、右手の角に、やや唐突な印象の西洋風建築がそびえています。
これが長野宇平治設計の「南都銀行本店」及び村野藤吾設計の「南都銀行増築棟」です。

南都銀行本店(画像出処:撮影岡田)
南都銀行本店(画像出処:撮影岡田)

まずは本店を正面から見てみましょう。

長野宇平治という名前は耳慣れない名前の方も多いかもしれませんが、明治時代の日本で西洋建築を学んだ最初期の人間の一人です。
「辰野金吾の弟子」といえば、近代建築好きな人にはピンとくるかもしれません。

宇平治は、特に銀行建築を手掛けた人間として知られています。
日本銀行本店本館(上から見ると「円」という文字に見える例のアレ)を始め、北海道・函館・福島・金沢・名古屋・京都・大阪・広島・岡山・台湾と数多くの都道府県で銀行を設計してきました。

そんな彼が設計した銀行だけあって、南都銀行本店の設計もまた、イオニア式のオーダーを4つ並べるという古典様式に則った外観を持ちます。

列柱の根本には、羊のレリーフ。
こういうのを見てすぐ「鹿じゃないの?」と思ってしまうのは、奈良県民の悪い癖です。

南都銀行本店(画像出処:撮影岡田)
南都銀行本店(画像出処:撮影岡田)

南都銀行本店

竣工|昭和元年(1926)年
設計|長野宇平治
見学|要施設利用

古都の目抜き通りに鎮座する、正統派の古典様式建築。

そんな南都銀行ですが、時代とともに手狭になり、増築が計画されました

白羽の矢が立ったのは、モダニズム建築の巨匠として知られる村野藤吾。
彼は後に、近代建築のリノベーションや増築の名手としても名をはせることになるのですが、その手腕がここでも発揮されています。

南都銀行増築棟(画像出処:撮影岡田)
南都銀行増築棟(画像出処:撮影岡田)

これがその写真。
いかにもギリシャ建築っぽさ前回だった本店とことなり、スッキリとしたビルヂングです。

全くことなる印象の2つの建物ですが、アーケード側から眺めると実に違和感なく接続されていることに気づきます。

南都銀行増築棟(図版出処:岡田撮影)
南都銀行増築棟(図版出処:岡田撮影)

画面手前が増築棟。画面左奥が本店です。

南都銀行 本店・増築棟 つなぎ目(画像出処:撮影岡田)
南都銀行 本店・増築棟 つなぎ目(画像出処:撮影岡田)

つなぎ目を見ても、言われなければ2つの時代の建物が繋がっているとはわからないのではないでしょうか?

タイルの色合いが自然なのはもちろんなのですが、窓の高さを揃えていたり、繰型のデザインを揃えたりすることで、明治の設計と昭和の設計を違和感なくつなげていることが読み取れます。

南都銀行増築棟(画像出処:撮影岡田)
南都銀行増築棟(画像出処:撮影岡田)

南都銀行増築棟

竣工|昭和28(1953)年
設計|村野藤吾
見学|要施設利用

様式建築とモダン建築の接続という難題に取り組んだ、戦前モダニストの超絶技巧。

④奈良市総合観光案内所(旧JR奈良駅舎)

南都銀行本店の面する三条通りを、西に下りましょう。

三条通りを望む(図版出処:岡田撮影)
三条通りを望む(図版出処:岡田撮影)

三条通りは奈良市街地でもっとも栄えている通りなのですが、栄えているがゆえに、建築好きを唸らせるような古い建物は、それほど残されていません。

旧ぜいたく豆(図版出処:岡田撮影)
旧ぜいたく豆(図版出処:岡田撮影)

例えばこちらの町家風コンビニ。

写真を撮る観光客も多く、
「奈良はコンビニも風流だね」
「景観に配慮しているんだね」
という具合に前を通る人々の評判は結構いいのですが、昔から奈良に住む人は結構苦い顔でこの建物を見ていたりします。

というのも、この建物はもともとは奈良有数の老舗菓子店「ぜいたく豆」の店舗だった本格町家建築。
そのためこの建物には、「あのぜいたく豆すら、コンビニになってしまった」という文脈がつきまとうため、奈良を愛する人としては結構微妙な存在なのです。

とはいえ、全く取り壊されて更地になるよりは遥かに配慮された選択だったのも事実です。
古い建物を残すというのは、なかなか難しい問題ですね。

JR奈良駅(wikiより)
JR奈良駅(wikiより)

さて駅前に出ると、居酒屋とビジネスホテルとパチンコ屋が並ぶありふれたロータリーの中に、ひときわ目を引く建物が鎮座していることがわかります。

寺なのか、西洋建築なのか、それとも別の宗教施設なのか。
見る人に強烈なインパクトを与えるこちらの建築は、かつてはJR奈良駅の駅舎として使われていた建物です。

もともとは京都帝室美術館の設計コンペに応募する予定だったボツ案を転用したものだそうですが、どおりで田舎の駅舎の割には迫力が有りすぎるわけです。
完成した当時は両翼に回廊が伸びており、今よりなお大規模な建築でした。

平成10年の駅舎改修に際し、一度は取り壊しが決まったのですが、

「我が国の近代建築の特色を表す」
「地域性を鮮明に表現した個性を有する」
「地域性を積極的に造形化した建築作品」

として保存活用を求める声があがり、大規模な曳家工事を経て数十メートル隣に移築。
現在では(おそらく日本一仰々しい)観光案内所として、観光客を迎え入れています。

デザインや内部構造の詳細な解説は、別途解説記事を書いてますので、そちらも合わせて御覧ください。

旧JR奈良駅舎

現名称|奈良市総合観光案内所
竣工|昭和9(1934)年
設計|柴田四郎・増田誠一
見学|常時可

タイル張りの洋風建築に宝形屋根を乗せた、異形の和洋折衷駅舎

⑤ホテル日航

目的地であるJR奈良駅には到着しましたが、観光案内所の反対側(西口)には、世界的な巨匠が手掛けた現代建築があと3つ存在しています。

このあたりは、国鉄が所有していた奈良運転所が廃止されて移行、1980年代まで空き地となっていました。
そこで奈良県は1988年に「JR奈良駅周辺土地区画整理事業(通称:シルクロードタウン21)」を計画。
さらに翌年には駅前一帯を会場とした国際イベント「世界建築博覧会1998奈良」のメイン会場化を宣言し、この駅前一帯を現代建築が林立する近未来都市へと作り変えることが計画されていました。

シルクロードシティ21 完成イメージ模型(図版出処:『奈良市政要覧 1996』)
シルクロードシティ21 完成イメージ模型(図版出処:『奈良市政要覧 1996』)

こちらがその完成予想模型。
現代人の視点から見ると「おいおい、正気か?」と思わざるを得ない模型ですが、バブルという時代はこんな夢を奈良の駅前に描いていたようです。

案の定この壮大な構想はバブルの崩壊によって実行不可能となり、2008年のリーマンショックや時代の雰囲気の変化によって計画は事実上の中止。
現在では、マンションとホテルで構成されたありふれた駅前再開発が粛々と進められており、市民が描いた奈良建築博の夢は、まったくなかったことにされています。

とはいえ、設計計画のすべてが一様に頓挫したというわけではなく、中には完成・実現にこぎつけた建物もわずかながら存在しています。

これらはいずれも
「古都奈良の伝統」
「古き良き時代の空気」
「レトロでおしゃれな奈良の町並み」
を求める方にとっては、奇怪で無粋な建築かもしれません。

一方で日本にまだ活力や夢が溢れていた時代のパワーが形となったこれらの現代建築もまた、奈良という都市が歩んだ歴史の一面。
バブルの夢の残香とも言うべきこれらの建物も、ちょっとだけご紹介します。

ホテル日航(図版出処:岡田撮影)
ホテル日航(図版出処:岡田撮影)

その1つ目は「ホテル日航 奈良」。
奈良駅の後ろにそびえる大きな西洋風のビルです。
地上10階建て(高さ46m)で、2018年まで奈良県において最も高い建物とでした(2018年には、47.7mの橿原のミグランスが建設)。

下部の赤レンガタイルと上部の白塗りのコントラストが特徴的な建築ですが、この外観を手掛けたのはミラノ工科大学を卒業した国際的建築家「アルド・ロッシ」でした。

ちなみに「シルクロードシティ21」のデザインガイドライン新建築社『別冊新建築 奈良、そしてトリエンナーレ奈良1992』1993.8 p40には
「この地区の色彩は白から黒までの“利休のねずみ色”を基調とし、素材の色を生かす(原文ママ)」
とあるのですが、アルド・ロッシは清々しいまでにこれを守る気がありません。

ホテル日航 内部(図版出処:岡田撮影)
ホテル日航 内部(図版出処:岡田撮影)

建物の1−2階は複合施設となっており、飲食店やアパレルが入っています。

奈良ホテル日航(wikiより)
奈良ホテル日航(wikiより)

ホテル日航 奈良

竣工|平成10(1998)年
設計|アルド・ロッシ(外観のみ)
見学|要施設利用

タイル張りの洋風建築に宝形屋根を乗せた、異形の和洋折衷駅舎

⑥なら百年会館

日航ホテル奈良の向かいに目を向けると、要塞や潜水艦のような黒い建築が目に飛び込んできます。

なら百年会館(図版出処:岡田撮影)
なら百年会館(図版出処:岡田撮影)

その正体は、奈良市政100周年を記念して作られた多目的ホール「なら百年会館」です。

収容人員1,476人を誇る県下最大の大ホールで、小学生の合唱コンクールから有名歌手のコンサート、国際会議に学会発表などさまざまな目的のために利用されています。

設計は国際的な巨匠、磯崎新。
施工は大手ゼネコンである大林組。

コンクリート補強鋼鈑シェルの屋根を地上で組み立てた後、ジャッキによって持ち上げる世界的にも珍しい「パンタドーム工法」を採用して作られており、構造や施工の点から見ても見ごたえのある建築です。

なら百年会館 壁面(図版出処:岡田撮影)
なら百年会館 壁面(図版出処:岡田撮影)

ちなみに、真っ黒な外壁の正体は「瓦」(せっ器質無ゆう外装タイル)。
緩やかな曲面を描く外壁に合わせて、何種類もの曲率の瓦を特注しており、かなり力の入った外観となっています。

なら百年会館 アトリウム(図版出処:岡田撮影)
なら百年会館 アトリウム(図版出処:岡田撮影)

エントランスを入ると、天窓から光が差し込む明るいアトリウム空間。

なら百年会館(図版出処:岡田撮影)
なら百年会館(図版出処:岡田撮影)

なら百年会館

竣工|平成11(1999)年
設計|磯崎新
見学|要施設利用

奈良市100年の歴史を背負い、奈良の未来へと旅立つ、船のような多目的ホール。

⑦奈良市営第一号コミュニティ住宅

最後に紹介するのは。こちらの「コミュニティ住宅」です。

奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)
奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)

設計は世界建築博覧会の総合プロデユーサーである黒川紀章。
紹介した現代建築3作品のなかでは最初に作られた作品であり、「シルクロードタウン21」という再開発計画を象徴する一棟と言えるでしょう。

奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)
奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)

円柱のコアを軸にする地上14階建ての豪胆な建物で、特に波打つような外壁が見るものに大きなインパクトを与える建築です。
ちなみに波打っているのはベランダ部分だけであり、各住戸の間取りが曲線なわけでは有りません。

1階から6階まではフラットタイプの部屋が104戸設けられ、外壁には深い紺色のタイルが貼られています。
これに対し、7~14階には、メゾネット式(一つの住戸の中に内階段が有り、複数階を専有できる集合住宅。)の部屋が76戸。コンクリート打ちっぱなしの外壁となっており、下層との印象にメリハリを与えています。

奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)
奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)

外壁をよく見てみると、7階より上の窓が極端に大きいことに気が付きますが、これはメゾネット式だからこそできる開口部のとり方といえるでしょう。
実際に中に入ったわけではないので予想になりますが、おそらく上層階のベランダや共用廊下は、天井高の高い非常に開放的な空間になっているのではないでしょうか?

奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)
奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)

また、Vの字型につなぐ2棟の間には中庭が設けられています。
外側からみた印象は非常に閉鎖的で陰鬱な建物ですが、実際に住んで見れば意外に明るく開放的な生活体験なのかもしれません。

ぜひ内部を見学したいのですが、ここで暮らす人にとっては観光地ではなく、プライベートな生活空間。
この記事では外部の紹介のみにしておきます。

奈良市営第一号コミュニティ住宅(図版出処:岡田撮影)
奈良市営第一号コミュニティ住宅
(図版出処:岡田撮影)

奈良市営第一号コミュニティ住宅

竣工|平成元(1989)年
設計|黒川紀章
見学|見学不可

波打つ外壁とVの字型の平面が特徴的。奈良建築博の嚆矢となった集合住宅。

References

References
1 板倉準三:1901-1969。ル・コルビジェに師事し、日本にモダニズム建築の思想を広めた建築家の一人。有名作に新宿駅西口ロータリーなど。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA