奈良建築街歩きガイド|奈良公園編

この記事では、奈良公園周辺の現代建築を紹介したいと思います。

奈良公園で建築といえば、興福寺や春日大社といった寺社仏閣を始めとする伝統的古建築に焦点が当たりがちですが、和洋折衷に趣向を凝らした様々な近現代建築があることはあまり知られていません。
春日大社の陰森凄幽いんしんせいゆうとした森と和気香風かきこうふうとした長閑な芝生の広場の間にひっそりと並ぶ、どこか伝統的なのにどこか西洋的な情緒が漂う奈良の建築群。そんな他の都道府県にはない独特の名作建築を巡るルートについて、この記事では紹介します。

全体像

今回取り上げるのは、

施設名竣工年用途見学状況
奈良県庁舎1965年行政要施設利用
奈良県文化会館1968年ホール要施設利用
奈良県立美術館1972年美術館要施設利用
国立なら博物館 本館1894年美術館要施設利用
国立なら博物館 新館1997年美術館要施設利用
春日大社国宝殿1973年美術館要施設利用
仏教美術資料センター1902年教育公開期間あり
江戸三大正~昭和初期宿泊要施設利用
菊水楼1891年飲食要施設利用
奈良ホテル1909年宿泊・飲食要施設利用
聖公会基督教会堂1930年宗教公開期間あり
奈良公園の有名建築一覧

奈良公園の中に建つ建築最大の特徴は、ホテルや教会・博物館といった西洋由来の機能を持つ建築を東大寺や春日大社によって構成された伝統的な都市空間になじませるために生まれた、独特な和洋折衷のデザインコードです。本瓦葺の屋根に木製の柱と白漆喰の真壁で構成された奈良ホテルや、寺院建築のデザイン性を受け継いで作られた奈良基督教会堂はその代表と言えるでしょう。あるいは一見すると現代建築らしさ全開にしか見えない奈良県庁舎ですら、よくよく観察すれば、そこには日本古来から受け継がれた日本建築由来のデザインコードが織り込まれていることを発見できるはずです。

それでは、奈良観光の玄関口である「近鉄奈良駅」を出発点として、奈良公園内の近現代建築を巡るたびに出発しましょう。

①奈良県庁舎・奈良県立美術館・奈良県文化会館

近鉄奈良駅2番出口から地上に出ると、右手に商店街の入り口が、正面には奈良公園へ向かう坂道(国道369号線)が見えます。

近鉄奈良駅前(図版出処:岡田撮影)
近鉄奈良駅前(図版出処:岡田撮影)

この坂道は奈良公園へと伸びる坂道であり、駅と観光地をつなぐ大動脈であると同時に、県庁・地方裁判所・県警本部が立ち並ぶ奈良の官衙街でもあります。かつては師範学校(現奈良県教育大の前身)や図書館(現県立図書館の前身)などもこの一体に位置していました。

奈良名勝案内地図1925年発行 縣廰を中心に、奈良縣圖書館・師範學校・裁判所などの文字が並ぶ(図版出処:県立図書館より)
興福寺裏手敷地/旧戦捷記念図書館建設地(図版出処:岡田撮影)
興福寺裏手敷地 旧戦捷記念図書館建設地 げんざいは空地になっている(図版出処:岡田撮影)

現在それらの施設は移築や取り壊しなどによりほとんど残されておりませんが、「興福寺の北側は、行政施設や文化施設が集積している」という土地柄は現在も残されており、その代表選手とも言えるのが片山光生設計による「奈良県庁舎」でしょう。

奈良県庁 (図版出処:岡田撮影)
奈良県庁舎 (図版出処:岡田撮影)

地上6階・地下2階建て。県庁舎としての威風堂々たる佇まいと興福寺と東大寺に挟まれる中での風致敵配慮、そんな両立困難な課題に挑んだ名作として、奈良の近現代建築を取り上げる上で絶対外せない名作建築の一つとなっています。

奈良県庁に限らず、奈良公園周辺の建築を読み解く上でキーワードとなる単語があります。
それは「調和」です。

奈良公園の自然と人工物である建築の調和。
古都奈良の伝統的な風致と西洋由来の近代建築が持つデザインの調和。
奈良公園周辺に建てられる建築は常に、この「周辺環境との折り合いの付け方」という課題と、100年以上に渡って向き合い続けてきました。

奈良県庁舎(奈良県立図書情報館より)

こちらの写真は、明治28年(1895)に建てられた、旧奈良県庁舎(現存せず)の写真です。
自動車の存在や壁に設けられたガラス窓など明らかに近代以降の建築ではありますが、同時に白漆喰の真壁に瓦屋根など和風建築の要素も強く残されていることがわかります。
これは、当時の設計者長野宇平治の述懐に『世人すで似而非えせ西洋風建築に嫌厭す。宜しく本邦建築の優點ゆうてんを採るべし、と言ふに在り[1]長野宇平治「新築奈良県庁図面説明」建築学会編『建築雑誌』10(111)、1896、PP61。』とあることからも分かる通り、設計に当たっては西洋風の外観を避け日本建築の美点を強調したデザインとすることが望まれていたことが原因となっています。

この旧奈良県庁舎のデザインは、その後奈良公園内に建てられたホテル・教会・図書館を始めとするあらゆる木造建築に採用されており、当時の奈良の建築における一つの模範回答として広く受容されました。

このあたりの詳しい経緯については、下記の記事を御覧ください。


さて、話を現代に戻しましょう。モダニズム全盛に建てられた奈良県庁舎のこのシンプルで力強い外観は、建設当時奈良公園の風致を損ねると批判の声も多く寄せられたといわれています。
たしかに前掲した旧奈良県庁に比べれば、いまの奈良県庁舎は規模も大きい上に鉄筋コンクリート丸出しで、「日本の伝統的な風景に馴染む」建築であるかと言われれば回答に苦しむ面もあるでしょう。

奈良県庁舎(図版出処:岡田撮影)
奈良県庁舎(図版出処:岡田撮影)

しかし、庁舎建築といえば一般には、国粋主義丸出しで権威性を強調した帝冠様式や、ヨーロッパ風の煉瓦壁やごてごてした装飾が華美な古典主義的建築、さもなくばバブル以降に建てられたお役所仕事の無味乾燥なコンクリート建築が定番。そういった建築がここに建てられていたことを想像してみれば、今の奈良県庁者のデザインを採用したことは、奈良公園にとって非常に幸運な選択だったと感じずにはいられません。

本建築もう一つの特徴は、中庭空間の使い方です。

中央奥のやや高い主棟(その中でも更に高い突き出た部分が展望棟)を中心に、柱によって一階部分が持ち上げられた東棟(画面右側)と議会棟(画面左側)によって回廊を構成し中庭を囲む左右対称の構造は、平等院鳳凰堂や、飛鳥・奈良時代の伽藍配置に着想を得たとされています。
経済的合理性を考えれば敷地いっぱいに高層の建物を建てるのが最適のハズですが、若草山への眺望や興福寺五重塔・東大寺大仏殿といった大規模建築との干渉を考えた結果、奈良県は低層棟で敷地の教会を緩やかに区切り一階部分を開放するこの屋外空間を選択しました。

中庭に入り込み草を喰む鹿の姿と、その周囲にあつまる観光客、中庭で公園のように子供と遊ぶ地元住人の姿を見れば、その選択は大英断だったと言わざるを得ません。

この奈良県庁舎はしばし、本建築の7年前に竣工した丹下健三設計の香川県庁舎との類似性がよく指摘されます。

実際、両建築をこうして並べてみると、コンクリート製でありながら木造軸組構造のような柱・梁を模した外観や、水平性を意識した庇や手すり装飾、一階部分をピロティとした低層棟で中庭を囲む空間構成など、まぁ「ぱくり」と呼ばれてもちょっと擁護し難い程度には、建築として似た印象を与える建築です。

ただ、奈良県庁は本家である香川県庁舎に比べて柱も梁も細く高さも抑えられており、延べ床面積は香川県庁舎の倍以上大きいにも関わらず、奈良県庁舎:約2万9000平方(https://www.pref.nara.jp/1331.htm)香川県庁舎:約1万2000平方(https://www.tangeweb.com/works/works_no-13/)周囲に与える印象は控えめで、周辺環境に合わせてデザインを洗練していることが感じられます。

香川と奈良の建築を比較するというのは、かなり旅好きの方でないと難しいことかもしれませんが、実際に両建築の現地に訪問すれば、似たデザインでも周囲の環境への合わせ方の差異を実感でき、非常に楽しめるかと思います。

奈良県庁 屋上より奈良公園を見る(図版出処:岡田撮影)
奈良県庁 屋上より奈良公園を見る(図版出処:岡田撮影)

屋上からは、東側に若草山や興福寺五重塔、東大寺大仏殿を始めとする数々の古都奈良の世界遺産を、西側には平城宮跡や生駒山を臨み、奈良市街地を一望できます。

設計は片山光生。建設庁の営繕局員として活躍し、代表作に国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(旧国立競技場・現存せず)などに携わっています。なお、県庁に隣接する「奈良県立美術館」の設計や「奈良県文化会館」の基本設計(実施設計は日建設計)も手掛けており、奈良の営繕建築界を導く木鐸ぼくたくとなりました。

奈良県庁舎(図版出処:岡田撮影)
奈良県庁舎(図版出処:岡田撮影)

奈良県庁舎

竣工|昭和40(1965)年
設計|片山光生
見学|常時可(一階ロビーおよび屋上展望台などのみ)

三代目となる奈良県庁舎。丹下健三設計の旧香川県庁舎を意識したと思われる、日本建築を意識した軒や庇を模した小梁の連続や、中庭を囲むように設けられたピロティ空間が特徴的。

奈良県立美術館(岡田撮影)
奈良県立美術館(岡田撮影)

奈良県立美術館

竣工|昭和40(1965)年
設計|片山光生
見学|常時可

奈良県庁と同時期に建てられた県立美術館。深い軒を取った回廊を巡らせる正方形平面の建物を東西に並べてつなげるシンプルな構成。美術館建築としては奇を衒らわないシンプルな構造となる。

奈良県文化会館(図版出処:岡田撮影)
奈良県文化会館(図版出処:岡田撮影)

奈良県文化会館

竣工|昭和43(1968)年
設計|片山光生(実施設計は日建設計)
見学|見学不可(2026年まで工事予定)

奈良県庁の3年後に竣工した文化ホール。木造建築の柱・梁・肘木を再現したRC造の壁面、キャンチレバーで深く伸ばした軒とそこに穿たれた八角形の穴など、同建築とデザインコードを共有する。令和5(2023)年より、リニューアルに向けて改修工事中

②旧帝国奈良博物館本館(現奈良国立博物館なら仏像館)

奈良県庁 前面道路から奈良公園方向を見る(図版出処:岡田撮影)
奈良県庁 前面道路から奈良公園方向を見る(図版出処:岡田撮影)

奈良県庁と道を挟んで向かい側には世界遺産で有名な興福寺の境内が広がっています。
興福寺については、すでにその魅力を語る記事が世の中に多数あるのでそちらに譲るとしましょう。

本記事では、そのまま興福寺を素通りして、その東に隣接するあの有名建築について話を進めましょう。

奈良国立博物館(図版出処:岡田撮影)
奈良国立博物館(図版出処:岡田撮影)

奈良公園の中に突如現れる純然たる古典様式の西洋建築。
赤坂離宮や旧京都帝国博物館を手掛けた片山東熊による、奈良帝国博物館(現・奈良国立博物館なら仏像館)です。

奈良国立博物館なら仏像館(画像出処:岡田撮影)

凝灰岩の角柱ピラスターと4つ並んだコリント式列柱オーダー、左右対称の立平面、アーチ型のエディキュラを抱く正面玄関など、当時西洋で流行していたネオルネサンス様式をたくみに旁引ぼういんし、帝国博物館としてふさわしい重厚さと風格をまとっています。
上記写真は冬場の撮影ですが、夏に行くと周囲に広がる青々とした芝生のみどりと、乳白色の建物のコントラストが美しく、古都奈良にいることを感じさせない非常に西洋的で高雅な空間がそこに広がります。

かつて正面だった玄関口は上記の写真のように閉鎖されており、現在の正面玄関は反対側に移されているのでそちらに回りましょう。

奈良国立博物館なら仏像館(画像出処:岡田撮影)


入り口の形状を見れば分かる通り、本建築は2016年に改修工事が施され、一部増築が施されています。
また、現在の奈良国立博物館のメイン機能は1972年竣工の新館(後述)に移されており、現在こちらの建築は仏像の展示に特化した分棟という扱いになっています。

内部の撮影はできないため写真を交えての解説はできませんが、桜鼠(わずかにくすんだ、白に近い桜色)の内壁と一新された照明設備によって仏像を引き立たせる内部空間は、仄暗いエントランス部分とのコントラスト演出もあって、現代的ながら非常に神々しい空間として演出されています。

本建築の詳細については、下記の記事も併せてお楽しみ下さい。

帝国奈良博物館本館(画像出処:撮影岡田)

帝国奈良博物館本館

現:奈良国立博物館なら仏像館

竣工|明治27年(1894)
設計|片山東熊
見学|要施設利用

奈良県下初となる本格西洋建築。片山東熊設計の建築群の中では規模・装飾ともに比較的控えめな方なのだが、何かと「派手すぎる」「東熊初期の未熟作」「奈良に似合わない」など、建築の教科書では悪口を書かれがちな印象。


③奈良国立博物館 新館

奈良国立博物館 新館(図版出処:岡田撮影)
奈良国立博物館 新館(図版出処:岡田撮影)

前述の通り、帝国奈良博物館はその後増築が施され、現在の本館機能は隣接するこちらの建築に移されています。


近代建築と和風建築の融合で名高い建築家・吉村順三設計による本建築は、1966年に制定された「古都保存法」の特別保護区のど真ん中に位置する建築であったため、やはりその建設は議論が紛糾しました。
(奈良市民いつも建築に紛糾してるな……)

外観は校倉造あぜくらづくりの高床式正倉がモチーフとなっています。
これは帝国奈良博物館の収蔵物が東大寺正倉院の宝物を中心とするものであることを踏まえたデザインですが、同時に一階部分に長い軒下空間を儲けるとこで、正倉院展を訪れた膨大な来場者の動線をコントロールし待ち列を格納する役割も果たしています。
総ガラス張りのロビー空間、コンクリート造の柱が並ぶやや天井高低めのピロティ、旧本館との間に設けられた水盤やサンクガーデン。これらの要素が一体となって、建物の内外をつなぐ自由なオープンスペースを構成しています。

奈良国立博物館 新館(図版出処:岡田撮影)
奈良国立博物館 新館(図版出処:岡田撮影)

奈良国立博物館 新館

竣工|昭和47年(1974)
設計|吉村順三
見学|要施設利用

東大寺正倉院宝物を始めとする文化財の収集、保管、研究、展示を行う。東側の新館は、正倉院展来場者のさらなる増加を受けて平成9(1997)年に増築されたもの。奈良在住経験のある小学生であれば一度は正倉院展などで無理やり連れて行かれる場所である。

国立奈良博物館より、旧奈良県物産陳列所を見る(図版出処:岡田撮影)
国立奈良博物館より、旧奈良県物産陳列所を見る(図版出処:岡田撮影)

ちなみに、この国立博物館の横から裏手を見ると、何やら独特な雰囲気をまとった木造建築を見ることができます。
こちらの建築については、後ほど帰り道で取り扱いたいと思います。

④春日大社宝物殿(現・春日大社国宝殿)

春日野園地(図版出処:岡田撮影)
春日野園地(図版出処:岡田撮影)

国立博物館を出て更に東へ向かうと、春日野園地と呼ばれる広場に面した四つ角に出ます。
上記写真手前が国立博物館、左奥が東大寺境内、画面奥が若草山山麓、そして右へ曲がると、春日大社参道へと向かう道となっています。

今回は春日大社へ向かうため、右に曲がりましょう。

春日大社参道(図版出処:岡田撮影)
春日大社参道(図版出処:岡田撮影)

奈良国立博物館より東側は春日大社の管理する宏大にして幽邃閑雅な杉林が広がっています。
この道を、更に東に登っていきましょう。

春日大社参道 二の鳥居前(図版出処:岡田撮影)
春日大社参道 二の鳥居前(図版出処:岡田撮影)

参道を登ると二の鳥居があるのですが、そこに至る直前に上記の写真のようなY字路が現れます。

二つの道のうち、右の道が春日大社の参道で、多くの観光客がこちらに向かいます。
こちらには春日大社の拝殿の他、大正期に作られた近代数寄屋建築で重森三玲の傑作庭園が有名な「春日大社貴賓館」があるのですが、年数回の見学ツアー以外は見学不可のため、ここでは割愛します。

左の道は、春日大社の参拝を済ませ、そのまま東大寺境内へと向かう道であり、通常の観光ではいわば「春日大社からの帰り道」となるルートと言えるでしょう。
その「帰り道」に足を向けると、急に森が開けた場所があり、そこに春日大社が有する優美な神宝・工芸品の数々を保管する美術館「春日大社国宝殿」が存在します。

春日大社国宝殿(図版出処:岡田撮影)
春日大社国宝殿(図版出処:岡田撮影)

春日大社国宝殿は、モダニズム建築の旗手として名高い谷口吉郎氏の設計によって、昭和48(1973)年に竣工されました。2つのシンプルな切妻屋根の棟が平行に並び、それを同じく切妻屋根の棟でつないだH字形の構造を持つ大胆で明朗なこの建築は、春日大社の宝物を預かるにふさわしい力強さと神秘性を有していました。

また2016年には、耐震補強や設備の更新も兼ねた全面リニューアルが建築家の弥田俊男やだとしおの手によって施されました。
空調面の改善や収蔵料の増加などに加え、建物全面に増築したガラス張りのホール部分に大迫力の鼉太鼓を設置されるなど、開口や装飾を絞ったシンプルな外観がどこか醸し出していた近寄りがたい印象の克服も試みられています。

本建築は、春日大社という伝統的な空間に以下にモダニズム建築を調和させるのか、そして老朽化しつつあるモダニズム建築をどのようにして保存・活用していくのか。そんな問題に一つの模範解答を示す建築の好例と言えるでしょう。

春日大社国宝殿(図版出処:岡田撮影)
春日大社国宝殿(図版出処:岡田撮影)

春日大社宝物殿

現:春日大社国宝殿

竣工|昭和48(1973)年
設計|谷口吉郎
見学|要施設利用

春日大社国宝殿(図版出処:岡田撮影)
春日大社国宝殿(図版出処:岡田撮影)

ちなみに、こちらの画像の赤いバスの更に向こう側にある道は、東大寺境内や若草山への近道となっています。
大仏殿なども観光される方は、ぜひこちらのルートを使いましょう。

④奈良県物産陳列所(現・奈良国立博物館仏教美術資料研究センター)

さて、普通の奈良の名所巡りであれば、興福寺・春日大社・東大寺を回れば十分奈良公園を巡ったと言えるでしょうが、近代建築巡りをテーマとする本記事においては、まだまだ折り返し地点にすぎません。
また、これまで県庁・美術館といった公共建築で、かつ戦後に誕生したコンクリート造の非伝統的な中心に取り上げてきたのに対し、ここからの後半戦は料亭・旅館・ホテルといった民間の手による、木造和風近代建築に焦点を当てて紹介していきましょう。

最初に取り上げるのは、先程奈良国立博物館新館を紹介した際に少しだけ取り上げた、下記の建築です。

国立奈良博物館より、旧奈良県物産陳列所を見る(図版出処:岡田撮影)
国立奈良博物館より、旧奈良県物産陳列所を見る(図版出処:岡田撮影)

奈良国立博物館のちょうど真裏に位置するこの「仏教美術資料研究センター」は、春日大社の参道にも隣接しており、春日大社観光の行き帰りで比較的目にとまる建物のため、存在自体を知っている人は多いかもしれません。
正面に回ってみましょう。

こちらの建築は現在では奈良国立博物館の施設の一部として運用されており、仏教美術にまつわる調査研究資料の作成・収集・公開を行っている施設となっています。
しかしそのもともとの用途は、県下の殖産興業と物産の展示販売を行う商工関連施設として、明治35(1902)年に竣工した建物でした。

設計は建築史学者である関野貞。まだ日本に「◯◯様式」といった概念すら浸透していない頃の日本建築史学の黎明期を担った関野の設計らしく、法隆寺・薬師寺・平等院鳳凰堂といった社寺の要素を引用しつつも、前述した「旧奈良県庁舎」流の手法で近代建築としてまとめ上げるという、非常に高度で繊細な建築設計となっています。

内部見学は年に数回設けられる公開日か、蔵書資料の閲覧目的でのみ可能となっています。

奈良県物産陳列所(岡田撮影)
奈良県物産陳列所(岡田撮影)

奈良県物産陳列所

現・奈良国立博物館仏教美術資料研究センター

竣工|明治35(1902)年
設計|関野貞
見学|要施設利用

奈良県の殖産興業の振興を目的として建設され、後に奈良の仏教美術研究の資料センターとして利用される。人字形割束・イスラム風の細工が施された円形窓、華奢で線の細い高欄など、奈良県庁流の建築群の中では装飾的で華やかな印象を与える。

⑥江戸三

奈良県物産陳列所前の春日大社参道(図版出処:岡田撮影)
奈良県物産陳列所前の春日大社参道(図版出処:岡田撮影)

物産陳列所前を、再び近鉄奈良駅の方(画面奥)に降りていきましょう。

しばらく歩いていると、春日大社一の鳥居が見えてくるのですが、その少し手前の位置で左手の小高い盛土の上を見ると、ポツポツと並ぶ料亭建築が並んでいることがわかります。


春日大社の杉林に隠れ潜むように点在して並び建つこの料亭は、明治40(1907)年創業の老舗料亭旅館「江戸三」です。

敷地中央の池とそれに隣接した「中央亭」を核として、「魚鼓ぎょく」「太鼓」「鉦鼓しょうこ」「鈴」「銅鑼」など楽器の名前を冠した大小さまざまな数寄屋棟がぐるりと立ち並びます。(「帳場」「影向ようごう」「八方亭」など楽器以外のネーミングも)

建物の建設時期は不明なものが大半なのですが、八角形の間取りを持つ独特の見た目をした「八芳亭」だけは、明治35(1902)年に浅茅が原に建築されたものを昭和9(1934)年に現在の場所に移築したものであることが判明しています。

江戸三(画像出処:撮影岡田)
江戸三 帳場(画像出処:撮影岡田)

江戸三

竣工|大正~昭和初期
設計|不明
見学|要施設利用

志賀直哉・小林秀雄・堂本印象・尾崎一雄といった文化人が愛用したことでも知られる奈良の老舗料亭。帳場、浴室、10の亭屋で構成されているが、規模・形状・仕上げ・内装の設えに共通ルールがあまりなく、棟ごとの多様性に富んでいる。

⑦菊水楼

菊水楼(図版出処:岡田撮影)
菊水楼(図版出処:岡田撮影)

一の鳥居をくぐり、道を挟んだ向かいの辻に目を向けると、こじんまりとした佇まいが魅力的だった江戸三とは対象的な、木造三階建の大規模な料亭建築「菊水楼」があることに気がつくでしょう。

菊水楼(図版出処:岡田撮影)
菊水楼(図版出処:岡田撮影)

菊水楼は明治24年に創業した奈良県下屈指の名門料亭で、その歴史は前述の国立博物館よりも長い奈良の最古参建築の一つです。
いわゆる「一見さんお断り」であると噂されるほどの格式高い超高級料亭だったのですが、、2013年からは宿泊業から撤退しており、現在ではブライダル・飲食業を中心に据えた業態に移行しいます。

建築としては明治24(1891)年竣工の旧本館と、明治34(1901)年竣工の新館、更に別館・レストラン棟で構成されており、県下の和風木造建築の中でも比較的大規模な部類の建築となっています。
屋号にもその名を冠する菊水模様が手すりや照明など随所にあしらわれている他、座敷周りにも多種多様な銘木・変木を用いた贅を尽くした設えの数々は独創的で、窓から荒池越しに一望できる奈良町の眺望や若草山との間に広がる古社寺と自然美の入り交じる公園風景とともに、訪れた来賓客をもてなします。

菊水楼(図版出処:岡田撮影)
菊水楼(図版出処:岡田撮影)

菊水楼

竣工|明治24年(1891)
設計|織田組
見学|要施設利用

創業130年を超える老舗料亭が誇る、格式高い旅館建築。建材の一部には古寺の部材が取り入れられている。

⑧奈良ホテル

菊水楼から、奈良ホテルへ続く道(図版出処:岡田撮影)
菊水楼から、奈良ホテルへ続く道(図版出処:岡田撮影)

さて、奈良公園の建築巡りもいよいよクライマックスです。菊水楼にそって南にくだると、荒池と呼ばれる池が広がっています。かつて農業用水を貯水するため池として作られたものですが、現在では護岸が整備され芝生と柳の木が長閑な空気感を作り出す景勝地となっています。
この荒池を挟んで菊水楼と反対側に位置する小高い飛鳥山に位置するのが、今回ご紹介する建築群の中でももっとも人気の高い、奈良ホテルです。

奈良ホテル (wikiより)
奈良ホテル (wikiより)

大正期から昭和初期にかけて、奈良公園は近代的スポーツグラウンドを竣工()したり、園内を周遊する鉄道網の整備が計画()されるなど、徐々に西洋的なレジャー公園としての側面が強調されていった時期でもありました。奈良のみならず、日本という国全体において、外貨獲得のための観光開発が非常に熱を帯びた時代だったのです。

奈良ホテルはこうした動きに先駆けた明治42(1909)年に建てられたホテルでした。発起人は奈良市・関西鉄道・都ホテル等による公民共同のプロジェクトであり、国賓・皇族の滞在を視野に入れて設計された関西最大級の迎賓施設だったのです。

外観を見ると、過去に紹介してきた「旧奈良県庁舎」や「奈良県物産陳列所」ににた、伝統的な建築の要素を施した西洋建築風の外観を持っています。

設計したのは辰野金吾。あの赤レンガの東京駅を設計した人物なのですが、同じ人間が設計したとは思えないほどの作風の違いがあります。「建物新築に際しては、古建築との調和を保持すべし」という建設を閣議決定した際の奈良県の言葉は、相変わらずといったところでしょうか。

奈良ホテル 内観 (wikiより)
奈良ホテル 内観 (wikiより)

奈良ホテル (wikiより)
奈良ホテル (wikiより)

奈良ホテル

竣工|明治42年(1909)
設計|辰野金吾
見学|要施設利用

歴史と風格ある奈良を代表するクラシックホテル。

⑨聖公会基督教会堂

奈良公園から帰るに当たって、最後にもう一軒だけぜひ立ち寄っておかねばならない建物があります。

聖公会基督教会堂(図版出処:岡田撮影)
聖公会基督教会堂 正面(図版出処:岡田撮影)

近鉄奈良駅と猿沢池を結び、土産物屋や観光客向けの飲食店が並ぶ奈良を代表する商店街「東向商店街」。その中程にふと、店舗の列が途切れて空が見える一角があります。
長い石階段の上にちらりと見えるのは、白漆喰の真壁造と緩やかな勾配の桟瓦葺屋根な木造建築。
ちょっと見ただけでは町中にひっそりと立つ小寺院かなにかにしか見えないこちらの施設は、実は日本聖公会奈良基督教会の奈良教会、及びその付属幼稚園の敷地となっています。

外観はどう見ても小寺の講堂かなにかにしか見えないこちらの建築もまた、ご多分に漏れず「西洋由来の建築施設を、純和風の工法で建造する」という、奈良公園内和風近代建築で数多く採用されている建築表現が用いられています。
内装は、木材と漆喰壁を露わにした一軒純和風に見えないこともない見た目をしていますが、構成としては北側に内陣、南側に身廊と側廊で3列に区切られた本陣を持つという、立派なバシリカ形式(三廊式)教会となっています。

この建築は、規模としてはこれまでに紹介してきた「県庁」「図書館」「ホテル」といった建築群に比べれば非常に小規模な上、設計を手掛けたのも有名大学出身の建築家ではなく、大木吉太郎という地場の宮大工の手によるものでした。
しかしそれは裏を返せば、長野宇平治や辰野金吾といった錚々たる建築家たちが必死で編み出した奈良の風土に会う独自の建築様式を、地元の宮大工が自家薬籠中の物として吸収し、市井の人々の活動施設として用いたという視点で捉えることもできるのではないでしょうか。

実際大木吉太郎はその後、伏見の桃山基督教会や小浜の聖ルカ教会などといった木造教会堂の設計・施工という形で、関西圏を中心にその知見をいかんなく発揮しました。
その後、戦後から高度経済成長期を経て現代に至る過程で、残念ながらこういった和洋折衷形式の建築を新築することはなくなってしまいましたが、これらの建築群が織りなす奈良公園独特の風景だけでも、後世に残していけることを願ってやみません。

日本聖公会奈良基督教会教会堂 玄関部外観(図版出処:岡田撮影)
日本聖公会奈良基督教会教会堂 玄関部外観(図版出処:岡田撮影)

日本聖公会奈良基督教会教会堂

竣工|昭和5年(1930)
設計|大木吉太郎
見学|要施設利用

東大寺に隣接する、現存最古の木造教会堂建築。

References

References
1 長野宇平治「新築奈良県庁図面説明」建築学会編『建築雑誌』10(111)、1896、PP61。

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