菊水楼|創業130年、賓客を迎え続けた奈良の老舗料亭。

菊水楼(図版出処:岡田撮影)

日本有数の観光地として知られる奈良県であるが、以外にも「県内の宿泊施設の部屋数」は47都道府県中最下位であるという。
隣接する大阪・京都との交通利便が高いことがかえって災いしているのか、観光地としての知名度や訪問者数の多さからは想像もつかないほど、奈良の宿泊客は乏しい状況が続いている。

それを象徴づけるような出来事が、2013年に起こった。奈良市街地における最古参と行って良い老舗旅館「菊水楼」が、2015年のリニューアルに際し、宿泊事業からの撤退を発表したのである。
かつては「一見客の宿泊不可」「泊まれば一泊5万円はくだらない」とさえ言われた奈良随一の迎賓館の突然の終焉は、県外の愛用客や県内の観光業者に大きな衝撃を与えることとなった。

宿泊施設としての役目を終えた菊水楼ではあるが、創業130年の間に培われてきたもてなしの心と、それを支え続けてきた純和風の建物は、現在ではブライダルを中心とした施設として稼働しており、今日まで引き継がれている。

基礎データ

現名称菊水楼
旧称菊水ホテル など
所在地奈良市高畑町
設計者尾田組
構造木造2階建(旧本館)
竣工年明治24(1891)年
利用状況ブライダル・飲食
見学条件要施設利用
菊水楼 基本データ

施設利用案内

時が、心が、麗しい。

世界遺産の中心、
国内外から愛された奈良随一の迎賓館
時を越えた日本の美しさと心を、
今に伝えるおもてなしの舞台
名士や文豪などに愛されてきた
伝統に磨かれた菊水楼が
お客様をお迎えいたします。

菊水楼公式HP https://www.kikusuiro.com 

開業以来、ホテル・旅館としても長らく利用されていた菊水楼であるが、現在は東京に本社を置く株式会社Plan・Do・Seeによって、レストラン事業、ブライダル事業、宴会・会議事業の施設として運営されている。

レストラン

2021年現在、和食レストランである「菊水」と、うなぎ専門店である「うな菊」の2種類が営業中。(欧風レストラン菊水は2020年に閉店)

菊水

  • 営業時間
    ダイニング : 11:00〜15:30(14:30 LO)
    個室 : 11:00〜15:00(13:00 LO)17:00〜 21:00(19:00 LO)

うな菊

  • 営業時間 11:00~20:30( 19:30 L.O)
  • 定休日 毎週火曜日

成立背景

江戸時代より奈良県郡山の地で旅籠業を営んでいた岡本家の「菊屋」を前身とする。

明治22(1889年) 現在の所在地である興福寺興善院跡地にて、着工。

明治24(1891)年 現在の旧本館が竣工

同年に岡本卯三郎を当主として創業。

明治34(1901)年 現在の本館が竣工。

戦後 米軍の接収により営業休止。
昭和33
(1958)年 営業再開
昭和42(1967)年 本館南のレストラン棟が竣工

(欧風レストランの営業は2020年に終了)

昭和52(1977)年 西側の別館が竣工
平成12(2000)年 旧本館・本館・表門・庭門が国の登録有形文化財に登録
平成27(2015)年 株式会社Plan・Do・Seeとの共同経営開始

建築について

全体像

菊水楼(図版出処:岡田撮影)
菊水楼(図版出処:岡田撮影)
  • 天理街道と三条通の角地を敷地とする。春日大社一の鳥居や興福寺境内に面するとともに、背後には荒池を望む景勝地である。
  • 客を迎える本館を中心に、東側に旧本館、西側に別館、南側にレストラン棟が建つ。
  • 旧本館階段手すり、本館玄関の天井飾り、本館3階大広間の透かし彫り欄間など、随所に「菊水模様」が取り入れられる。その他、一階外壁に菊花を象った丸窓が連なるなど、料亭名にある「菊」を取り入れたあしらいが随所に見られる。
  • 圓成寺の古材や変木を取り入れるほか、15室あるほぼすべての客室に床の間が設けられるなど、内装も全体的に伝統的な和風建築の文法に則って作られているが、一方で和室にしてはやや高めの天井高や幾何学模様を取り入れた近代風の意匠など、モダンデザインらしさも随所に見られる。

旧本館

菊水楼(図版出処:岡田撮影)
菊水楼(図版出処:岡田撮影)
  • 1891年竣工。木造2階建てで入母屋造りの桟瓦葺
  • 1階は、建物中央に東西に伸びる廊下を挟んで、南側に「ぼたんの間」「杉の間」「傘の間」が、北側に「竹の間」「桔梗の間」「松の間」、合計6室が並ぶ。
    北側中央の「桔梗の間」は建設当初は玄関部分であったが、本館増築に伴い客室として改装された。
    「竹の間」では、その部屋にちなんだ大径の竹をもちいた床柱が用いられる。
    「傘の間」は6畳〜8畳の3部屋が連なる構成であるが、西側の1室のみ舟底天井の洋間となっている。
  • 2階には「楓の間」「大判の間」「春日の間」の3室の客室を備える。
    中央の「大判の間」では、前室に設けられた目の細かい筬欄間おさらんまや、主室との入り口に設けられたアーチ状の竹枠など、繊細な意匠が施される。
    座敷の床の間に目を向けると、「大判の間」ではけやきの一枚板を用いた床板、床壁にはられた金箔、仏堂の来迎柱らいごうばしら[1]来迎柱:仏堂において、本尊を安置する空間(須彌壇)の背後に立つ壁(来迎壁)を支える2本の柱のこと。を転用したと思われる黒漆塗りの床柱など、贅を尽くした意匠が見られる。同様の床柱が隣接する「楓の間」でも見られる。
  • 建物南東には、木造2階建て入母屋造りの離れが建ち、1階に1室、2階に2室の客室を持つ。

本館

  • 木造三階建の入母屋造桟瓦葺き。
  • 1階正面中央に式台しきだい[2]式台:玄関において、土間と床の段差が大きい場合に、段差を分割するために設置される段差や踏み台のこと。を設け、奥に70畳の下広間が広がる。
  • 2階には中央にロビーを設け、建物南側に「もろの間」「菊の間」「丸窓の間」「かすみの間」「曙の間」の5つの客室が並ぶ。
    中央の「丸窓の間」では、折上格天井の天井や楕円形の枠木を用いた幾何学的な出入り口、六葉金具の釘隠しがアクセントとなる長押など大胆な意匠が特徴となる。
  • 3階には、広さ110畳もの大広間を構える。部屋の西側に舞台、東側に床の間を設け、南北には広縁が通る。
    天井はすべて棹縁天井であるが、広縁に面する出入り口の上部は45度の傾斜が設けられている。また、大空間を実現するために、小屋組みにはトラスが用いられている。

菊水楼(図版出処:岡田撮影)
菊水楼(図版出処:岡田撮影)
  • 明治22年の移転に際し、正門部分、及び旧本館北側の庭入り口に庭門部分に、園成寺塔頭たっちゅうより移築した大小2つの薬医門やくいもんをそれぞれ移築されたもの。ともに国の登録有形文化財である。

参考文献

References

References
1 来迎柱:仏堂において、本尊を安置する空間(須彌壇)の背後に立つ壁(来迎壁)を支える2本の柱のこと。
2 式台:玄関において、土間と床の段差が大きい場合に、段差を分割するために設置される段差や踏み台のこと。

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