奈良の銀行建築といえば、南都銀行本店(旧館:長野宇平治。新館:村野藤吾)が有名であろうか。だがもし奈良の建築に興味があるならば、ぜひ「岩崎平太郎」の名前も覚えておきたいところである。岩崎は奈良県庁の技術者にも採用された建築家で、戦前の奈良における公共建築を木造。RC造問わず幅広く手掛けてきた。銀行建築だけに限定しても、彼が大正末期より吉野銀行(現:南都銀行)と関わりを持って以来、下市支店・岩出支店・掖上わきがみ支店・登美ヶ丘支店など、現存しないものも含めれば50以上にのぼる銀行建築を手掛けたという。そんな銀行建築の中でも、木造町家建築風の外観を持つ南都手貝支店はやや異色の建築といえるだろう。

 奈良という都市において、近代的な施設を古都の風景に調和させる試みは、奈良ホテル奈良基督教会を筆頭に枚挙に暇がない。本建築はそうした動きが、銀行の支店という比較的小規模な建築にも求められていたことを示す好例と言えるだろう。

基礎データ

現名称奈良市きたまち転害門観光案内所
旧称南都銀行手貝支店
所在地奈良市手貝町
設計者岩崎平太郎
構造木造2階建
竣工年昭和15年(1940)
利用状況wifiあり
見学条件自由
南都銀行手貝支店 基本データ

施設利用案内

  • 開所時間:10時~16時(毎週木曜日、12月27日~1月5日は休館)
  • 電話:0742-24-1940
  • 無線LANポイント有り。

成立背景

旧南都銀行手貝支店 正面 (図版出処:岡田撮影)
旧南都銀行手貝支店 正面 (図版出処:岡田撮影)
昭和15(1940)年岩崎平太郎により設計
昭和47(1972)年南都銀行手貝支店が今小路町に移転
その後、看護婦寮・理髪店として利用される
平成25(2013)年 改修の後、観光案内所として利用。
南都銀行手貝支店 年表

建築について

全体像

  • 東大寺の西側大門である「転害門てがいもん(国宝)」と、旅籠や商店が立ち並び京街道(国道369号線)に挟まれる立地にある。
  • 道路側の主屋と東寄りの付属屋に分かれる。
  • 主屋は2階建てで、間口4間半の桟瓦葺切妻平入。正面と南側面に軒を巡らせる。銀行建築らしからぬ町家風の外観を持つのは、周辺の旅籠や商店に合わせたものと思われる。
  • 昭和47年以降の改変が大きく、立面・平面ともに当初の造作を残す部分は少ない。

設計当初

  • 主屋は客溜・応接間・営業室で構成されるシンプルな内容。客溜と営業室のあいだには、カウンターが設けられた。
  • 2階建てではあるが上へ登る階段はなく、営業室の上部が吹き抜けとなっているのみであった。この吹き抜け空間が、唯一本建築を「銀行建築」たらしめる特徴であったと言える。
  • 営業室中央の扉からは敷地奥に向かって廊下が伸び、正面2間半・奥行き6間程度の「宿直室・小使室・便所」などを持つ付属屋が建つ。
  • 廊下より北側には庭園が配置され、また敷地最奥には土蔵が設けられているなど、町家建築を模した配置がなされる。この土蔵は設計以前からのものであり、本建築が出来る前にこの敷地にあった町家住居のものが、新築にあたって再利用されたと思われる。
正面外観腰板 簓下見板張(岡田撮影)
正面外観軒裏 船枻造(岡田撮影)
  • 正面外観は、開口部には真鍮製の縦格子、腰壁は簓子下見板張ささらこしたみいたはり、軒下は船枻造せがいづくり[1]船枻造:側柱上部から腕木を出して、軒下に似た小天井を張ることで、軒を深く張り出す屋根構造。西日本ではあまり見られない。と、町家風。

改修前後

  • 敷地奥の付属屋・坪庭・土蔵はいずれも残存しない。現存する、正面2間半・奥行き3間程度の付属屋は、後世の増築と見られる。
  • 銀行としての利用が終わった後、二階部分にも床が貼られ、一階二階ともに細かく部屋が仕切られることとなった。
  • 正面外観は、理髪店としての利用の際に一階南半分をモルタルで塗り込められた他、2階の一部建具もアルミサッシに置き換えられていた。
  • 観光案内所としての改修にあたり、モルタルで塗り込められていた入り口右手の外観は復元され、同部分には二階に登る階段が設けられる。

  • 天井には、建設当初のキングポストトラスが残されており、桁行方向に梁と火打梁で補強されている。

参考文献

References

References
1 船枻造:側柱上部から腕木を出して、軒下に似た小天井を張ることで、軒を深く張り出す屋根構造。西日本ではあまり見られない。