ここでは日本建築の床、すなわち
- 土間
- 布敷
- 四半敷
- 三和土
- 拭板敷
- 畳敷
などの居住空間の下面について、奈良の建築を題材にしつつ解説します。
目次
土間空間
ご存知の通り日本の住居建築は「靴を脱ぐ」「靴を履く」という動作によって空間を使い分けるという特性を持っています。
そのため床の仕上げには、単なる内装上の違い以上に、格式や振る舞いを制限するという空間状の重要な意味が与えられます。
地面より高い位置にある水平な構造物を「床」と呼ぶのに対し、室内の下面が地面と同じ高さであり、土足で往来する空間を指して「土間」と称します。
日本の居住空間においては、土間は玄関や仕事場、炊事場などに利用され、舗装する場合は瓦や石が用いられました。
(床材としての瓦は甎と呼ばれます)。
布敷とは
石敷き・瓦敷きのうち、縁に対して目地が垂直・平行になるように敷く敷き方です。
法隆寺など、古代の建築から幅広く採用されている最もシンプルな石敷きの方法といえるでしょう。
吉城園
代表として、吉城園の離れ茶室の土間をご紹介いたします。
四半敷とは
石敷き・瓦敷きの内、縁に対して目地が45度になるように斜めに敷く敷き方です。禅宗様の仏教建築では特に採用されました。
志賀直哉旧居
志賀直哉邸宅の目玉であるサンルームでは、黒みがかった敷瓦が四半敷でしきつめられています。
三和土とは
三和土と書いて「たたき」と読みます。
「敲き土」の略称で、赤土・砂利などに消石灰とにがりを混ぜて練り、文字通り敲き固めた素材です。
3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書くと言われています。
本来は材質を意味する単語ですが、現代では「土間」や「玄関」とほぼ同義で用いられるようになりました。
奈良の近代建築では、依水園にかつて存在した「臨溪庵」という茶室のにじり口に設けられていた三和土の跡が残されています。
床
次に、靴を脱いで上がる空間、本来の意味での「床」の仕上げについて解説していきます。
板敷・拭板敷とは
板敷は最もシンプルな床仕上げの一つであり、室町時代までの建築では床といてば板敷が主流でした。
畳敷きが登場した室町時代以降の書院造でも、廊下や縁側は板敷が一般的であり、日本建築において最も幅広く採用された床材の一つと言えるでしょう。
近代以降の和風建築では居室にも採用され始め、椅子と机による洋風のインテリアを織り交ぜた和洋折衷の空間に広く見られるようになります。
志賀直哉旧居の書斎や食堂は、その代表といえるでしょう。
拭板敷
拭板とは、鉋などで研磨し、表面を滑らかにした板のことです。
すなわち拭板敷とは、土足ではなく、裸足や足袋で歩く様な板敷のことを意味する単語です。
興福寺本坊の入り口部分などに用いられています。
畳敷とは
厚みのある畳の誕生はおよそ平安時代とされています。
しかし、これが床材と見做される様になったのは、もう少し後になってからのことでした。
現代では一つの部屋を全て畳敷きにすることは当たり前ですが、中世までの畳とは板敷の部屋の中で偉い人が座るための、座具や寝具の一種でした。
しかし室町時代以降に登場した書院造の室内では、「畳敷(たたみじき)」が基本となりはじめ、江戸時代中期からは商人などの住宅にも取り入れられる様になりました。
やがて日本建築の寸法・面積を決定する重要な単位にまでなっていきます。