奈良県大和郡山市には、かつて豊臣政権ににおいて秀吉の実弟羽柴秀長が居住した大和国郡山城があった。17世紀には廃城となり殆どの遺構が消滅、明治初期には旧郡山中学校・旧郡山園芸高校の校舎が建設されるなど、大きくその風景を買えてしまった。
現在では追手門・櫓・天守台などが復元されるた上、花見の穴場としても地域住民に愛される公園のような空間になったこの城址跡だが、その一角にどこか奇妙な和風建築がそびえているに気づくだろうか?
仏教建築のようなてりむくりのある瓦屋根、左右シンメトリーな堂々としたその風格は、長い歴史を感じさせる佇まいである。しかし、リズミカルに並ぶ上げ下げガラス窓の存在が純粋な伝統建築でないことを物語る。
城のようで城でない、寺のようで寺でない、この奇妙な建築は、実は明治時代に奈良公園内に設計された近代図書館建築を移設したものなのである。
目次
基礎データ
現名称 | 大和郡山市民会館・城址会館 など |
旧称 | 奈良県立戦捷記念図書館・奈良県立図書館など |
所在地 | 大和郡山市城内町(旧所在地:奈良市登大路町) |
設計者 | 橋本卯兵衛 |
構造 | 木造二階建て |
竣工年 | 明治41年(1908) |
利用状況 | 市営学習指導教室 |
見学条件 | 自由(外観のみ)|期間限定(一階ホール内観のみ) |
施設利用案内
見学
- 見学は土・日曜、祝日の10時00分~16時00分のみ
(12月24日から翌年1月6日を除く)
学習支援教室
- 大和郡山市内の小中学生を対象とした、不登校支援サービス。
- 申し込みには、所属する小中学校校長からの申し込み書類と、学生・保護者・カウンセラーによる面談が必要。
- カリキュラムは、平日の9:30-14:50
成立背景
本建築は、もともと奈良公園の登大路園地に位置していた。明治末期に近鉄奈良駅から東大寺に向けての京街道を歩んだならば、左手に並ぶ旧奈良県庁舎・武徳殿・奈良師範学校と、向い合せに位置する本建築が彩る、奈良の官衙街が目に飛び込んだことだろう。
この県立図書館の建設が構想されたのは、明治38(1905)年における同三十九年度予算審議における、河野忠三県知事による提案が発端であった。明治42(1909)年に規定された「奈良県立図書館規則」には、その開設理由として以下の通り記されている。
奈良県立戦捷記念図書館規則
第一条 本館ハ博ク内外古今ノ図書を蒐集シテ公衆ノ閲覧ニ供シ、古文書類ヲ保存シテ其ノ散逸ヲ防キ、併セテ三十七八年戦役ニ於ケル戦病死者ノ遺物履歴等ヲ蔵置シテ其ノ勲功ヲ表彰ス
すなわち本施設は、単に奈良県における図書の収集・保管・閲覧を取り仕切るのみならず、日露戦争の戦勝とそれに伴う死亡者の追悼の意を込めたものであった。
基礎データ
明治41(1908)年 | 奈良県立戦捷記念図書館として、奈良公園内に竣工。一時陸軍大演習統監部として利用された後、翌年に開館。 |
大正12(1923)年 | 「奈良県立奈良図書館」に改称。 |
昭和43(1968)年 | 奈良県文化会館に併設して新館が開館。旧館建物は現在の郡山城内に移築。 |
平成9(1997)年 | 奈良県指定文化財指定。 |
平成17(2005)年 | 奈良県立図書情報館の開館に併せて閉館。現在では市営の学習指導教室として利用されている。 |
本図書館が所蔵していた文献は、現在の奈良県立図書情報館に移されている。同施設に軍事・軍事史に関する史料が豊富なのは、こうした成立経緯によるものである。
建築について
平面構成
- 総工費30684円、建坪は324坪の木造2階建て。ただし、2階には30坪の耐火煉瓦造書庫室が設けられる。
- 中央に車寄せを突出させた入母屋造2階建ての主棟を配置し、両脇に切妻平屋の翼部を並べるなど、非常に対称性が高い建築である。真壁造りの外観や妻飾りには本蟇股や虹梁を多用する点も含め旧奈良物産陳列所を彷彿とさせるが、これは本建築設計者の橋本が、物産陳列所の施工者であったことに起因すると思われる。
立面
- 白漆喰の真壁造に連続的な洋風ガラス窓を並べるなど、奈良公園周辺の近代和風建築(奈良ホテル・物産陳列所・旧県庁舎・奈良基督教会教会堂)に類似する立面を持つ。ただし上記の建築と異なり、本建築では腰板を張り巡らしておらず、また柱頭に舟肘木ではなく平三斗を設ける。
- 中央の車寄せは唐破風屋根を用い、大面取角柱の柱でこれを支える。柱頭には出三斗が組まれ、前面には虹梁が架かり、本蟇股が載り、猪目懸魚が飾られる。非常に奈良物産陳列所の車寄に近い。
屋根
参考文献
- 奈良公園史編集委員会編『奈良公園史 本編』奈良県、1982、pp220-221。
- 奈良県『自明治三十七年三月至明治四十三年七月 県訓令通牒綴 内務部学務課』1910。