このページでは,日本建築の高欄について
- 親柱
- 架木
- 平桁
- 地覆
といった各部の用語や
- 組高欄
- 跳高欄
- 擬宝珠高欄
といった高欄の種類について、奈良の和風建築を題材に解説していきます。
目次
高欄とは?
高欄とは、日本建築の縁や階段に設けられる手すり・欄干のことです。
元々は転落防止や侵入禁止を示す機能のために設置されたモノだと思われますが、時代とともに装飾が施され始め、多種多様な意匠を持つ様になりました。
高欄の各部名称
高欄は主に3本の横架材と、それを支える束・柱で構成されており、それぞれに名称があります。
- 架木:3本の水平材のうち、最上段のもの。人の手が触れる部分であることから、円形断面のものが多い
- 平桁:3本の水平材のうち、中段のもの。角材であることが多い。省略されたり、2本以上になる場合もある。
- 地覆:3本の水平材のうち、最下段のもの。かまぼこ型のものから角材のものまで断面形状は様々だが、3本の中で最も太い。
- 斗束:架木と平桁の間に挟まる束。架木を支える斗ことからこの名がつくが、時代が降るに従って斗は省略される。
- 栭束:平桁と地覆の間に挟まる束。
- 親柱:架木・平桁・地覆全てをうける柱。擬宝珠高欄などに見られる。
高欄の種類
高欄は、その端部の処理によって分類され、名前が与えられています。
組高欄とは
組高欄とは、高欄と高欄が直角に交わる箇所において、親柱を設けずそれぞれの水平材が直角に交わる高欄の名称です。
禅宗様以降は親柱を設けて処理するのに対し、組高欄は法隆寺金堂(奈良前期)や薬師寺東塔(奈良前期)などの和様建築で用いられたことから、和様高欄とも呼ばれます。
さらに時代が降ると、平等院鳳凰堂(平安後期)に見られる様に、架木や平桁の先端が上向きに反り返る意匠[1] … Continue readingが登場します。
関野貞が設計した奈良県物産陳列所は、随所に法隆寺・薬師寺・平等院鳳凰堂の意匠を引用したと見られる箇所がありますが、中央の棟二段目に巡らされた高欄も、こうした和様建築と同じ組高欄が用いられています。
擬宝珠高欄とは?
擬宝珠高欄とは、高欄の端部に親柱を設置し、その柱頭に擬宝珠を設置したものを指します。
時代としては遺例上、組高欄より新しいもので、宇治上神社本殿内部(平安後期)や興福寺東金堂(室町)などに見られます。
奈良ホテルでは赤膚焼の擬宝珠を据えた高欄が、階段部分や吹き抜け部分に用いられました。
また、奈良ホテルを参考として設計されたと見られる奈良女子大学佐保会館でも、階段部分に擬宝珠高欄が設置されています。
References
↑1 | こうした端部が跳ね上がった高欄を「跳高欄(はねこうらん)」と紹介する書籍やサイトも多い。しかし古い文献では、「組高欄は架木などの端部が外に跳ね出していることから跳高欄とも呼ぶ」と描かれており、「組高欄=跳高欄」と定める物もある。 |
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