現代日本では土地の制約上、庭や門を持たない住宅のほうが主流となっています。
しかし日本建築を学ぶ似あたり、門構えはその建築物の格式や背景を読み解く重要な構成要素です。
それは、東大寺や法隆寺と言った大規模な宗教建築ではもちろんのこと、近代以降に建てられた文化人の邸宅建築や料亭などの商業施設でも同様でしょう。
この記事では、主に邸宅建築や小・中規模建築に用いられている
- 棟門
- 薬医門
- 四脚門・八脚門
- 編笠門
といった門構えについて、奈良県下の建築を実例としながら、その特徴や違いを解説していきたいと思います。
目次
概要
日本建築における門は、一般に柱の数や位置、そして屋根の形状によって分類されます。
当然、柱の数が2つしかないものが最小限の門となりますが、この2本を「親柱」「主柱」「鏡柱」と呼びます。
また、これらの前後に建てられる支柱を「控柱」と呼びます。
表門(出入り口としての門)
棟門とは
二本の門柱に切妻屋根をかけただけのシンプルな門を、棟門と呼びます。
屋根を設ける門の格式としてはやや低めの形式ですが、それだけに非常にありふれた門構えと言えるでしょう。
柱が二本しかない構成であることから、構造上不安定な門となっており、現存する事例の大半は敷地周囲をめぐる塀と連結する形で建てられています。
奈良県では入江泰吉旧居をはじめ、戦前の和風邸宅の表門としてしばし採用されています
また、志賀直哉旧居のように、本柱の両脇に壁が控えてあるものも、広義の棟門として扱うことが多いです。
薬医門とは
門柱が2本しか無く不安定であった棟門の弱点を克服するために、門柱の後ろにさらに一本ずつ控柱を設け、四足となった門構えを薬医門と称します。
社寺・城郭・邸宅建築と幅広い用途の施設に採用されており、文化財クラスの建物の中ではもっとも目にすることが多い門の構造と言えるでしょう。
例えば奈良公園に隣接する老舗料亭菊水楼では、園成寺塔頭より移築した大小2つの薬医門が見られ、とくに三条通に面する表門は春日大社に向かう参拝客の記憶に残る存在感を放っています。
また、奈良有数の名園で知られる吉城園は、表玄関に薬医門が、その隣の通用口に棟門が採用されており、2つの門構えの特徴を比較することができます。
四脚門・八脚門とは
薬医門の強度をさらに大きくし、さらに格式高く大きな門を作るためには、門柱の前後に控柱を設け、合計6本の柱で屋根を支える必要が出てきます。
こうした、控え柱が4本ある門を四脚門と称します。
四脚門ともなると非常に格式は高くなり、平安時代では大臣級の貴族の屋敷に、鎌倉以後は将軍家の正門・勅使門、寺家の正門などにのみ使われました。
当然近現代建築ではおよそ使われることのない高貴な門構えですが、明治期に建てられた興福寺本坊ではその内外を仕切る門として四脚門が使われています。(おそらく境内にあった既存の門を再利用したものと考えられる。)
ちなみに、四脚門の両側に一間ずつ門柱が追加され、さらにそれぞれの前後に控柱が添えられた門は八脚門とよび、大きめの寺院における南大門・仁王門として採用されてきました。
庭門
門は一般に敷地の内外を分ける装置ですが、庭門など1つの敷地内を区切るものも存在します。
編笠門
編笠門は茶庭にある露地門の1つで、茶室の入り口にある門です。
檜皮葺や杮葺きで仕上げられた丘のような曲線屋根が編笠のようだという理由で名前がつけられたとされています。
奈良の名園「依水園」では、前庭と後庭を区切る門として利用されています。