このページでは,日本建築の窓・開口部の用語について
- 楣式(角窓)
- 花頭窓(火灯窓)
- 円窓(丸窓)
- 下地窓
といった造形面や
- 井桁格子
- 連子格子(櫺子格子)
- 菱組格子・斜め格子
- 蔀
といった格子模様の種類ごとに分類しつつ、奈良の和風建築を題材に解説していきます。
目次
概要
石造を旨とする西洋建築では、窓を開ける行為は構造的に慎重な配慮の必要な行為でした。
しかし屋根荷重の大半を柱によって支える日本建築では、(横架材の強度さえしっかりしていれば)理論上壁の全くない建築を建てることも可能です。事実寝殿造の様に、壁・扉・窓の区別があまりない様式もあるなど、和風建築は西洋建築に比べて開口部を、位置や大きさに縛られることなく、比較的自由にとることができたのです。
こうした地理性の違いや構造上の都合もあってか、日本建築の窓はさほど複雑に進化せず、装飾的な発展はほとんどありませんでした。
まず古代においては、四角い窓に縦格子という中国伝来の窓が過半数を占めており、ほとんど変化はありません。中世・近世と時代を経ても、窓枠の形状のバリエーションと、内部の格子模様の種類に多少のバリエーションが出た程度となり、組物や中備、欄間に見られた彫刻的な装飾を獲得することはついぞありませんでした。
開口部の造作
ここでは、開口部の造作や形状による分類を行います。
楣式とは
楣式とは、柱と柱の間に二つの横架材を渡し、そこに長方形の額縁を嵌め込むだけの、非常にシンプルな形の窓の構造です。
中国から伝来した造作とされていますが、シンプルな工法ゆえに古代から現代に至るまで幅広く用いられてきた方式で、現代の窓もその多くがこの楣式に分類されます。
横架材のうち、窓の下部にあたる材を窓台、上部にあたる材を楣と称します。
花頭窓(火灯窓)とは
花頭窓(火灯窓)とは、禅宗様として中世に中国から伝来した窓で、窓の上部が炎や花弁を思わせる独特の曲線を描いている窓を意味します。
輸入された当初は京都の円覚寺舎利殿の様に、四角い窓の上部だけが曲線となるものでしたが、時代が降るにつれて慈照寺東求堂(銀閣寺)の窓の様に、枠の左右も曲線みを帯びるモノへと変化していきます。
花頭窓は数寄屋建築などでも好まれた様式で、奈良県では吉城園鶴の間の付書院にて、花頭窓が用いられています。
円窓(丸窓)とは
円窓(丸窓)はその名の通り、円形状の窓のことです。
円という図形は、禅の教えにおいて重要なファクターであることから、禅寺や禅の流れを汲む数寄屋建築などで好まれた窓です。
志賀直哉旧居にも二階の書斎に丸窓が用いられており、文豪の家にふさわしい風情を感じさせるアクセントとなっています。
下地窓とは
下地窓とは土壁の一部を塗り込めないことで開口部とする、窓形式の一種です。
土壁は通常、木舞と呼ばれる格子上の骨組みに土を塗り重ねて壁面を形成しますから、土壁の一部にあえて土を塗らず、木舞がむき出しとなります。
性質上、屋内外を隔てる窓よりも、居室と居室を隔てる壁に設けられることの多い造作と言えるでしょう。
千利休が始めたとされる手法で、穴の大きさを変えることで室内の光量を自在に調節できる点や、木舞の材質に割竹・葦・煤竹などでバリエーションが出せる点など、茶室建築を中心に近世・近代の住宅建築に用いられてきました。
格子窓の種類
次に、窓にはめる格子の造作の種類について解説します。
日本建築において大抵の窓は、その内側に格子窓を用いていました。
ここでは、その格子のバリエーションを紹介します。
連子(櫺子)格子とは
連子格子(櫺子格子)とは、細い木材や竹材(連子子)を等間隔に縦に並べた格子を意味します。
単に「格子」とだけ言う際は、現代人ならば次項の井桁格子を思い浮かべるかもしれませんが、日本建築において「格子窓」と言った場合は、圧倒的にこちらの連子格子が主流となるでしょう。
ちなみに、連子の子と子の隙間がなく窓の外側をみることができないものを、かつては盲連子と称しました(いまはあまり使わない方が良い単語ですね……)。
日本建築においては最も古い様式で、法隆寺の金堂にはじまり、多くの宗教建築・邸宅建築に用いられてきました。
奈良の近代和風建築においても、日本聖公会奈良基督教会教会堂の高窓や側廊窓において連子格子模様が利用されています。
井桁格子とは
井桁格子とは、その名の通り「井」という漢字の様に木材を水平垂直に組んだ格子を意味します。
連子格子とならんで普遍的な意匠であることから、近代建築や現代住宅などにも幅広く採用されており、例えば志賀直哉旧居の玄関には、ガラス張りの井桁格子戸があります。
菱組格子・斜め格子とは
菱組格子も斜め格子も、井桁格子を45度回転させた格子を意味します。
井桁格子の場合、大半は水平垂直に桟を組んで正方形を連続させますが、菱組格子は文字通り菱形を並べた様な意匠にもなります。
奈良の建築では、日本聖公会奈良基督教会教会堂の高窓や側廊窓、あるいは佐保会館の付書院などで確認できます。
蔀とは
蔀とは、井桁上に組んだ格子に板を張った格子戸の一種です。
最初期の様式では、竹や芦を組んだものや、布を貼ったものありましたが、主に平安時代より用いられ始めてからは、井桁格子に木の板材を貼り付けた木造のものが主流となりました。
その特徴として、通常柱に付けられる蝶番を、蔀の場合は長押や楣に取り付けることで上下に開閉するという、独特な開閉の仕方が挙げられます。
開いた建具は天井の釣金具で吊るすことができ、閉じている時は壁面に、開いている時は庇になるという構造となっています。
奈良県では、鎌倉時代に建立された法隆寺聖霊院などで、その構造をみることができます。
また、依水園内に移設された柳生堂も、四面が蔀戸で覆われています。